緒方さんがスマホでなにやらゲームをしています。息抜きのはずがえらい真剣な顔です。
「私は決してゲームをしているのではない、煩トレをしているのだ」
はい?
「だから、煩悩を鎮めるオトナのトレーニング、略して煩トレだ」
なんともいかがわしいタイトルです。効果があるのですか。
「ふっ、愚問だ。煩悩指数ホトケとなった私に、もはや煩悩などない!」
心なしか緒方さんから後光が差してるような気がします。
「もう、なにこの雨!おかげで服が透け透けじゃない!」
首がいってしまうのではというくらいの速さで声の方を向きました。まったく効果がないトレーニングみたいですね。

朝はパン パンパパン

「そうだね、まずはなんでサジが許可証を託してくれたのかから話そう。ユズがパンをよく買いに来てくれていて、そこから親しくなってサジを紹介してもらったんだ」
「へえ、なんだよ先生。そういうのに興味なさそうなくせして、意外とちゃっかりしてるな」
「ソウジの想像しているような関係ではないよ」
感心するソウジに苦笑いを返し、カズトは話を続けた。
「同じくらいの歳で店を持つものどうし、話が弾んでね。何度も飲み明かしたりしたものさ」
「なるほどね、畑は違えど戦友みたいなもんだったのか」
「戦友か、確かにそうだったな」
カズトは懐かしむように目を細めた。

「はあ~、ミーも頼りになるパパがほしいよ」
おあげが曇り空を切なげな目で見つめています。天真爛漫なようでいても元は捨て犬ですから、親が恋しくなることもあるのでしょう。
「ノーノー、そういうことではなくて、ペットの飼い主が自分のことをパパママということがあるでしょ?そういう生活を保証してくれるパパママだよ」
なんて現実的な。
「すまんな、おあげ。私にもっと経済力があれば。私がなれるパパなんて、お金をあげてなれるパパだけよ」
緒方さんがさりげなくとんでもない暴露をしました。
「違うぞ、肉体関係は一切ない!楽しく食事やお喋りしてもらうだけだ!」
なんとも切ない釈明です。

「まったく、こう毎日じめじめしてはなめくじになってしまうな」
あの、緒方さん、ちょっと言いにくいのですが。
「んっ、なんだ?今日もかっこよすぎるか?」
いえ、今日もなめくじみたいな容姿ですけど。
「うわ緒方くっさ!川の生き物の水槽みたいな臭いがする!」
鼻のいい所長が言いづらいことを代弁してくれました。
「もうじゅうぶん言いづらそうなこと言ってたけどね!臭いはしょうがないでしょ、この時期は生乾きになりやすいんだから!」
「いや、これたぶん加齢臭じゃないかな」
「言われてみれば枕からも同じ臭いがするかも…」
落ち込む緒方さんに、所長が慈愛のファブリーズを渡しました。

朝はパン パンパパン

「そいつはまた、難儀な話だな。一難去ってまた一難、ってか」
カズトの話を聞いたソウジがやりきれないようにため息をついた。アスマもまたあの少年、リョウのことを思い出していた。
「それであいつはオレたちのことを睨んでいたんだな。父親と同じ場所で、オレたちが店を開いていたから」
「ああ、あの坊主、リョウからしたら、父親を裏切ったやつらの関係者、にでも見えたんだろうな」
そう言ってソウジはカズトを見つめた。
「さて、カズト。話してもらわなきゃならんことはまだあるな。なんでお前さんが大事な許可証を託されたのかと、その条件とやらだ」
カズトは深くうなずいて口を開いた。

銀子さんのお腹がぐーぐー鳴っています。お腹が空いたならなにか食べたらどうですか。
「今日の晩御飯、かな子がぶっへとやらに連れて行ってくれるから我慢しとるのじゃ」
ごめんなさい、ちょっと聞き取れなかったです。
「だからぶっへじゃ!ぶっへ!いろんな料理が食べ放題なんじゃろ」
ああ、ビュッフェのことですね。
「そう、それそれ!ぶっへじゃ!」
銀子さんにはちょっと発音しづらい並びの言葉みたいです。
「はあ!?明瞭に発音できてるじゃろう!ぶっへ!」
どう聞いてもビュッフェではないです。
「お前の耳は納豆でも詰まっておるのか!?もう一度言ってやる!ぶっへ!」
なんか言いづらい言葉ってありますよね。

「静かな湖畔の森の影から、という童謡があるだろう」
ふと思い出したように緒方さんが言いました。
「ありますね、カッコウやフクロウが鳴く童謡です」
かな子ちゃんが小さく口ずさみました。
「そう、それだ。幼いころの、まだ純真無垢で神童と呼ばれていた私は、静かな股間の森の影からと勘違していたのだ」
「はあ」
「静かな股間の森の影…ひょっとしてこれは、いやらしい歌なのか!?と、あらぬ妄想をし、ちょっと興奮したものだ」
子どものころの緒方さんは存じませんが、その話を聞くと今とそんなに変わらない気がします。
「純真無垢でも神童でもなさそうです。ただのむっつりすけべです」

朝はパン パンパパン

リョウは部屋にこもり、悲しみに暮れていた。サジとユズはなんとか日々の糧を得て、ドア越しにリョウに語りかけた。短く、でも、真心をこめて。いつの日かまた、リョウと一緒に菓子作りができる日が来ることを信じて。
だがそんな祈るような日々も崩れ去ってしまう。
サジは持病を抱えていて、それが悪化した。身体の疲れと心の疲れ、両方が溜まっていたのだろう。
一命は取り留めたが、もう、長くは生きられない。もう、菓子作りもできない。それほど弱っていた。
自分に残された時間を知ったサジは店を手放し、それによって得たお金と、リョウをユズに託した。そして屋台の許可証は、ある条件を付けて僕に託した。

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