年をとるごとに時間の流れが早く感じられる。10代、そして20代の初めに覚えた景色の切なさと、その感情の理由をついに突き止められないまま、人生の下り坂を転げ落ちていく。
感受性豊かな時期、表現に対する情熱を注ぎきれなかった。日を追うごとにあらゆる感情が失われていくのを感じる。人生の価値を生命力で測るのなら、僕は何も生み出せない、価値のない存在だと思う。
もし、人生の価値を無力さへの共感でも測れるのならば、僕はまだ何かを生み出せるのかもしれないし、転げ落ちながらも、少しの希望を見いだせるかもしれない。
非生産的な感情を持つことへの理解が許される社会ならば。
ぼくは今の社会が嫌いでならない。
Mr.Orange
非生産的なノイズが好きだ。それが生きている証だと僕は思うからだ。無意味なものにこそ価値がある。偶発的な映像シーン、ノイズ、そこにリアルが根付いている。
それを許さない社会的な風潮が僕は大嫌いだ。反吐が出る。
2020年10月18日 04時17分
Mr.Orange
優れた映像表現とは。優れた音楽性とは。そんなものは存在しない。誰かが決めたことだ。
分かりやすい音、不快感のない音は存在する。ノイズのない見やすい映像、安定した映像も存在する。多くの人が不快感を示さない装い、ファッションは存在する。忖度に満ち溢れたマニュアルは、確かに存在する。
それはそれで大切な要素だ。だけど、それだけだと毒にも薬にもならない。言ってしまえば陳腐で薄っぺらい、誰かに忖度することしかできない無能の象徴。
無機質な製造者を自認するのならそれでもいい。AIに仕事を奪われるその日までせいぜい励めばいい。
もし表現者をかたるなら、マニュアルを捨てることからはじめろ。
2020年10月18日 04時30分
かえる先生(人生は貴重やで )
人生の価値…それを考えるってことは、それを意識している証拠でもあると思うな (^^
良いことだと思います。
自分なりの 価値を高める行動 ができるといいなぁ~とも思います (^^/~~~
2020年10月18日 09時29分