2018年07月28日 21時00分
微発酵探偵ミソーン 第七発酵
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「そりゃあもう。とらさんはナギサが拾った最後の猫でね。拾ったのは薄汚れた路地裏で僕もいたのだけど。とらさんは虐待でもされていたのか、サイズの合わない首輪をはめられて全身傷だらけで痩せ細り、今にも死にそうなところだった」
「酷い話だ」
「ああ、とても許せることじゃない。医者に連れていって三日三晩寝ずの看病をして、やっと助かったと思っても心に受けた傷は深かったんだろう。とらさんは私たちのことだけでなく、猫たちのこともひどく警戒して近づかなかった」
無理もない話だろう。一度でも裏切られた心の傷はそうそう塞がるもんじゃない。
「それでもふらりと散歩に出ても、夜にはまたふらりとここに帰ってきてくれていた。多少は信頼してくれていたのかな。ところがとある冬の晩、とらさんは夜中になっても帰ってこなかった」
「そいつは心配だな」
「ああ、特にナギサはとらさんを可愛がっていてね。私が雪も降っているし朝まで待とうと言っても聞かずに、コートも着ないで飛び出していった。そういうところもまた好きだったなあ」
マスターののろけを適当に聞き流し先を促す。
「ああ、すまない。どこまで話したっけ。とらさんを探しにナギサが飛び出したところか。私はコートを着込んで、ナギサのコートやマフラーも持って後を追った。ミイラ取りがミイラになりかねんからね」
確かにこの町の冬はなかなかに厳しい。部屋着のままでは凍えてしまうだろう。
「表に出たもののナギサの姿はもう見えず、どうしたものかと困り果てた。なんとか足跡を辿って大きな道に出たが人影はなく、誰かに尋ねることもできない。なら足跡はないかと思ったが、次々に降り積もる雪に埋もれてしまってそれもわからない。途方に暮れて周囲の景色を見回すと、見覚えがあることに気がついた。そこはとらさんを拾った場所の近くだったんだよ」
マスターはまさかと思い、とらさんを拾った場所まで駆け出した。
「そこには寒さに震えるとらさんを胸に抱いた、これまた寒さに震えるナギサがいた。僕は安堵してナギサにコートをかけて、とらさんをあたためるようにマフラーで包んでやった。なんでとらさんがわざわざあんなところに戻っていったのかはわからない。ひょっとしたら、前の飼い主を探していたのかもしれない」
「迎えに来るわけなんてないのにな」
「ああ、そうだ。だけどとらさんにとっては彼らも家族だったのだろう。酷い目にはあわされたけど、どこかで信じていたかったのかもしれない。家に帰る道すがら、震えるとらさんを胸に抱いてナギサは何度もこう言っていたよ。『大丈夫、あなたはもうひとりじゃないわ』ってね。家につく頃にはとらさんの震えもおさまっていた」
「きっとナギサさんの想いが伝わったんだな」
マスターは誇らしげに大きく頷いた。
「ああ、きっとそうに違いない。それ以来とらさんは、町でひとりぼっちでいる猫を連れてくるようになった。ナギサが亡くなった後も、彼女の後を引き継ぐようにせっせと。まさかしまいには、かわいい女の子を連れてくるなんて思いもよらなかったけどね」
おいおい、それってまさか。