2018年07月15日 21時00分
微発酵探偵ミソーン 第一発酵
タグ: 微発酵探偵
照りつける太陽、はしゃぐ声、潮騒の音、夏の海ほどひとのこころを浮き足立たせるのはあるまい。
「これで手にはキンキンに冷えたビール、隣にビキニの美女でもいれば言うことなしなんだが」
俺の手には海水浴には不釣り合いな屋根付きかご、隣には美女どころか人影すらない。
目の前に広がる浜辺では若い男女の集まりが陽気な音楽をかけ、炭火で肉を焼きながら乾杯してやがる。あやかりたいもんだねえ、まったく。しがない貧乏探偵には縁もゆかりもない世界だぜ。
「なに言ってるの、仕事で来たくせに」
手に下げたかごから、夜の帳を身にまとったような毛並みをした黒猫が顔を出した。こいつは俺の相棒、黒猫のあずき。
いろいろあって人の言葉を喋れるようになった、ちょっと風変わりな猫だ。まあ、世の中には喋る味噌もいるらしいから、そこまで風変わりでもないのかもな。発酵食品が喋るより、猫が喋る方がまだ健全というものだろう。それにしても。
「仕事ねぇ」
これが探偵の仕事といえるのかねえ。俺は今回の依頼内容を思い出した。
くそ暑い夏の昼間には働かない。それが俺の信条なのだが、その依頼人は太陽が一番高くなったころに訪ねてきた。
「こんにちは、どなたかいらっしゃいませんか」
よく響く高い声。営業時間外ですよと呟き、居留守を使おうとしたが声の主が帰る気配はない。しぶしぶ階下に降りて出迎えると、玄関扉の前にはどこか不機嫌そうな少女が立っていた。探偵事務所などという胡散臭いところに、依頼があるようにはとても見えない。
「あー、お嬢ちゃん、ケーキ屋さんなら向かいに」
「ミソーンさんですか?」
「確かに俺はミソーンだが、他のミソーンさんと間違えちゃ」
「探偵さんなんですよね?」
間違えて入ってしまったのではなく、どうやらちゃんと依頼があって来たらしいな。意思の強そうな眉を見て、こいつはおとなしく話を聞くしかなさそうだなと思った。
「あいにくコーヒーとミルクしかないんだが、どっちに」
「コーヒーで」
「おっ、大人だねえ。砂糖とミルクは」
「いりません」
おやおや、なかなかにせっかちさんみたいだな。
やけに直角にソファーに座った少女の前にコーヒーを置くと、「ありがとうございます」とぼそりと呟いた。愛想はないが礼儀正しいなと思いながら、少女の対面にゆったりと腰かけた。
コーヒーを飲むときくらい余裕があってもよさそうなもんだが、そんなに切羽詰まった依頼なのかねえ。
「にがっ…」
コーヒーを一口飲んだ少女が顔をしかめた。その仕草が年相応に見えて思わず笑っちまった。俺にもあったな、背伸びをしてブラックコーヒーを飲んでいたころが。苦いもんもなに食わぬ顔で飲み干せるようになっちまったのは、いつからだったかねえ。
横目で睨んでくる少女の目を避けるように、俺はそ知らぬ顔で立ち上がるとミルクを取り出し自分のカップに注いだ。
「たまにはカフェオレもいいもんだ。うちのミルクはけっこういいとこのを貰ってるからうまいぜ」
「そう言うなら、私もカフェオレにしようかな」
「ああ、飲んでみてくれ」
少女のコーヒーにもミルクを注いでカフェオレにしてやると、今度は口にあったようで「美味しい」と呟いた。口元がほころび、姿勢も少しゆるくなっている。
これで落ち着いて話ができそうだな。まあ、このままカフェオレを飲んで満足して帰ってくれるのが一番なんだが。