なんか「価値観の違い」で落とし所をつける場所が間違ってる人がたくさんいる気がしてならないです。
場合によって、褒めるという行為にはやる気を引き出す効果があるのは分かったけれども、やる気を引き出させるために思いもしない誉め言葉を吐いている人たちがいるかと思うと、気持ち悪いものを感じざるをえない。
誕生日書いてたらリアルばれしかねない。と思って誕生日を11/31に。
口だけになりかねないけど、いつか作家になりたいなってうすうす思ってるので、そういうときが来たら、PN「ぱせり」で性別不詳の作家になりたいとか考えてる。で、リアルには小説書いてるとかばらさない。
秘密ってすごく面白いから。
「特定の人としかうまく付き合えないのは、結局、あなたの心が冷めているからだ」という本がまさに、自分のことをさしているに違いなさ過ぎたので、買った。まだ中身はちょっとしか読んでないけど、けっこういいこと書いてある感じ。
だけどこの本に何が書いてあっても、常に孤独に身を置き狂人となって何かに打ち込み続けないとたどりつけない何かの極みというものもある、という私の考え方は否定できないと思う。自分がそうあれるとは思わないけど。
>めつさん
私も心が冷めてます。他の人のことどうでもいい、って思うことたくさんありますし。でも他人の話ちゃんと聞けない自分は駄目だなぁとかそういうことはよく思います。
2012年10月24日 00時01分
>DT天使カリエル
そうなんですか。なんか家族とか高校時代の友達とか全部含めたら、多くの人ならそれぐらい行かないこともない気がします(私は除外)。
話は変わりますが、私の叔父は大学で体育の教授をやっていますが、幼児に体を動かす遊びを教えることもあるそうです。学生時代に読んだ本で「幼児の集中力はせいぜい30分なので、幼児に対する教育もこれに沿った時間で行うことが望ましい」なんてことが書いてあったそうです。だけどそれは間違いだと言っていました。幼児は夢中になれるものなら、もっとずっと長い時間集中していられるものだと。
何が言いたいかというと、ダンバー数も間違っているかもしれませんよ、ということです。
2012年10月24日 00時08分
以前ここで薦められた「雪蟷螂」という小説を読んでいて、「あなたを、喰べてしまいたいほどに、愛している」という一文を読んでいるときにタイトルが「私の本気具合を知って欲しい」という迷惑メールが来て吹いた。
今風邪引いてんだけど、もしツイッターとかで風邪引いて辛いことに関して呟いたとすると、多分割とまぁまぁな人から「お大事に」ってリプが来ると思う。
でも誰にでも条件反射的に使うように安売りされてる言葉をもらったところで、何かなぁと思ってしまう。同じようにこっちからも条件反射的に「ありがとう」とか言わなきゃいけない気がする。
理由は上手く言葉にできないけど、そういうのは嫌だなぁと思うので、風邪引いたなんて呟かない。
この前の誕生日、「誕生日おめでとう」という言葉はたくさんもらったけれど、プレゼントは何ももらわなかった。しょせん社交辞令ばっかだよね。なんてここでしか言えない。
基準、プロセスを書いた方が消費者への訴求効果も高いのでは?と私は思います。
それらのことまで真剣に考える消費者はいなくても、それらを示されたときに「なるほど」と受け止める消費者は多いのではないかと思うのです。
ぱせり
くずですね
2012年11月15日 23時01分