2024年01月02日 20時14分
ヒーロー
婚約者がヒーローになってしまった。そして、死んでしまった。
いや、順番としては逆だ。
カゴに入れられて散歩していた幼稚園児たちを暴走する車から助けるために命を落とし、それが英雄的な行動としてテレビやネットで称賛されて、ヒーローに祭り上げられた。
大雑把に言うとそんな流れ。
閉塞的で殺伐としたニュースが続いていたせいか、マスコミはこの出来事をやたらと素晴らしい美談として取り上げて、彼の顔をメディアで見ない日はなかった。
メディアが伝える彼は、私の知る彼から隔たった存在になっていた。卒業アルバムに書かれたよそ向けの立派な夢や、たぶん挨拶くらいしかしたことのない地元の人からの評判、子ども時代や学生時代を知るという友人が語る、誠実で親切な人柄を補強するエピソード。勤務先の同僚や社長によると、彼は優秀な社員で真面目で勤勉、後輩への面倒見もよく将来を有望視されていたらしい。
そんな馬鹿なと笑ってしまう。
私の知る彼の夢はささやかで、定年まで無事に働いて、子育ても終えて、退職後は趣味の魚釣りで釣った新鮮な魚を提供する居酒屋をやりたい。
そこに人助けなんて立派なことは含まれていなかった。
人並み程度に優しく親切ではあったし、記念日を忘れずに祝ってくれる細やかさもあったけど、特別正義感に溢れていたわけではない。子ども時代にいじめっ子から誰かをかばっていたなんて聞いたこともない。もしそんなことをしてたら、褒められたがりの彼は得々として話していたはずだ。
むしろ彼や彼の両親の話から推測するに、彼はいじめられていた側だ。見栄っ張りなところがある彼は決してそんな話はしなかったけど。
職場での話だって眉唾ものだ。日曜日の夕方からの憂うつそうな顔を思い出すに、あれもよく言ってくれていただけだと思う。
彼は確かに真面目ではあるけど要領は悪い。同僚に助けられた話は聞いたことがあっても、助けたという話は聞いたことなんてない。最近の若者は敬語を知らないと愚痴ってもいた。出世は同期の中で遅い方で、家に持ち帰った仕事をする彼からは焦りが見えていた。
私の知っている彼はそんな感じ。休みの日には出かけたい私からせっつかれつつスマホでゲームをしてたり、たまに張り切って料理を作れば失敗してしょげたり、私に触れる手はいつまで経ってもぎこちなく、でもずっと優しかったり。
私の知っている彼は、そんな、普通なひとだ。誰かを、見知らぬ幼児を助けるために命を投げ出す勇気なんてない、普通の、だらしなくて、見栄っ張りで、でも私にとって誰よりも好きな、愛していたひとだ。
今の自分が世間にどう取り上げられているかを知ったら、参ったなあと頭をかいて、困った風に、でもちょっとだけ嬉しそうに笑うことだろう。
ピンポーンと音のない部屋にチャイムが響く。宅配便だと言うので出て受け取る。差出人には知らない名前と知っている幼稚園の名前が記されていた。
ヒーローに守られた、園児たちの幼稚園。
小さめの段ボールを開けると、中からはいくつかの封筒と、絵の描かれた画用紙が何枚も入っていた。
何だと思って画用紙から見ると、そこには同じモチーフの絵が描かれていた。クレヨンで描かれた、眼鏡をかけたくるくる髪の人。余白にはたどたどしい字でありがとうと書いてある。
いびつな線で描かれた、私の婚約者。
封筒を開けると、中からは園児の親からの感謝と謝罪を綴った便箋。1枚目を読み終わることもなく手でぐしゃぐしゃに潰し、破り、ちぎり、放り投げる。
ほかの封筒はもう中身を出すこともせずに、そのままちぎってちぎって、目から流れるものと、口から出ている子どものような泣き声に気がついた。
「あああああっ。うあああああっ」
あんなに泣いても、まだ涙は枯れないで、こんなにも強い怒りが渦巻いているなんて知らなかった。自分のことなのに。
「なんだよ、知るかよ。ありがとうじゃねえよ。お前らが、お前らがかわりに死ねばよかったのに。知らないよ、あんたたちの子どものことなんか。なんで、どうしてあのひとが死ななきゃならなかったの」
最低で理不尽なことを言っているなと、心の片隅で思う。でも自制なんて効かなかった。喉がひりつくのを感じても、内から溢れる声は収まらなかった。
「こんなもの、こんなものが何だって言うの。生き返らせてよ。彼を私に返してよ。会いたい、会いたいよ」
クレヨンで描かれた下手くそな絵をビリビリに破って、ちぎって捨てる。細かく、細かく、何が描かれていたのか、わからなくなるくらいに。
押し付けられた善意の残骸が散らばる部屋で、私は泣きつかれて丸まって、このまま何もせずに死んでしまえたらいいのにと思った。
私のヒーローは、それを受け入れてくれるだろうか。