みそ(業務用)の日記

2023年12月24日 19時36分

クリスマスの主役

かつては僕もクリスマスの主役だった。
枕元には一番大きな靴下をうやうやしく置き、期待に胸を膨らませて眠りについた。そして翌朝には靴下にはとうてい入りきらない大きさの、きらびやかなプレゼントの包みが聖夜を祝福してくれた。
やがてサンタさんの正体を知ってからもクリスマスのお祝いはしばらく続き、中学生になると反抗期も重なっておざなりになっていき、高校生になると完全に途絶えた。母子ふたりで祝うクリスマスに、重荷のようなものを感じたせいであった。
今にして思えば母さんは無理をしてでも一緒にクリスマスを祝い、チキンやピザやケーキに、とっておきのプレゼントを用意してくれていたのだろう。
でもキラキラと輝くそれらは年々どこか粘り気を持つうっとうしいものになっていき、ついには拒絶してしまった。
と言ってもそれで仲違いしたとかではないし、今では普通に話したり連絡を取り合ったりしている。誕生日や母の日にはプレゼントを渡しているし、都合がつけばお祝いだってする。
それでもまだ、クリスマスは遠ざけてしまっている。

今の僕はクリスマスの脇役だ。
暖房が効きすぎてちょっと暑いくらいのコンビニ店内。クリスマスだからと言って、やたらもこもこしたサンタのコスプレをさせられてはたまったものではない。
「いらっしゃいませー、ありがとうございましたー」
それでも笑顔は忘れずに接客。予約したクリスマスケーキやチキンを取りに来たお客さんたち。世の中にはこんなにもクリスマスを心待ちにしている人がいるのかと、家族連れやカップルの笑顔に打ちのめされる。
成人式なんかもうとっくに過ぎて、ぶらぶらとフリーターなんかしてる身にはクリスマスなんて無縁だ。意地でしている一人暮らしのせいで生活はカツカツ。そんなのにクリスマスなんて祝う余裕はないし、そもそも彼女ができる余地もない。
脇役はただ歯車になって主役にチキンやケーキを売り渡し、貼り付けた笑顔で送り出すだけ。

怒涛のピークを過ぎてそろそろ夜勤の人と交代の時間になったころ、パンツスーツにコートを羽織った女の人が入店してきた。
キョロキョロと店内を見回し、さっきまでたくさんのケーキが並んでいたスイーツコーナーに向かう。
ケーキ目当てかな。予約しとけばよかったのに。
その人は隅々まで店内を捜索すると手ぶらでレジまで来た。僕より少し年上に見えるその人は、間近で見るとどことなく疲れた感じがして顔色もあまりよくない。
「あの、ケーキありませんか」
「申し訳ございません。当日分はもう売り切れてしまいました」
「そうですか…」
女の人は明らかに肩を落として去っていった。
クリスマス当日になって急にケーキが必要になったのだろうか。急に彼氏と会えるようになったとか。リア充め。まあ、なんにせよ僕の知ったこっちゃない。

退勤する僕の手にはケーキの箱。クリスマスなのに一人で過ごすと思われるのが嫌で、見栄で予約までして買ってしまったやつ。
彼女と食べるんだと言った僕の言葉を、いったい何人が信じてくれたことか。
鬱々とした思いを振り払い、寒空の下を最寄り駅へと歩く。駅に近づくに連れて人は増え、街は一人でいる寂しい人間をあぶり出すかのようにきらびやかさを増していく。
そんな中でも僕は堂々と歩ける。なんせケーキの箱を持っているから。ケーキの箱は印籠か免罪符か、そんなような効果があるように思える。
クリスマスの街を一人で堂々と歩くための、惨めさから守ってくれるアイテム。
いったい何に対して感じなきゃいけない惨めさなのかよくわからないけど、表面的には守ってくれる。
駅前には待ち合わせと思しき人やカップルで溢れていた。これから一人で家に帰り、一人でケーキを食べるのは僕くらいなもんじゃないかと思えてくる。
早く帰ろう。
駅構内に入ろうとすると、横手にあるコンビニから人が出てくるのが見えた。さっきケーキがあるか聞いてきた女の人。
また空振りだったのか、疲れた肩にぶら下がった通勤カバン以外の荷物は見当たらない。
顔をうつむけて出てきたその人は泣き出しそうに見えて、目をそむけると手に持ったケーキの箱が何かを訴えているように思えた。
どうせ一人で食べるよりは、あの人にあげた方がこのケーキも喜ぶんじゃないか。
そんな馬鹿な。ケーキにそんな感情なんてあるわけがない。よしんばあげたとしても、どうせカップルで食べるのだろう。そして彼女の口から美談として僕のことが語られて、ふたりで盛り上がる餌になるだけだ。
僕はそんなためにこのケーキを買ったんじゃない。じゃあなんのためか。バイト先の人にクリスマスを一人で過ごす、惨めで寂しいやつと思われたくないから。
なんだよ、それなら、このケーキはもうその役割を、果たしているんじゃないのか。
「きゃっ」
か細い声に目を向けると、女の人が尻もちをついていた。
顔をうつむけていたから、目の前を歩いていた男に気が付かずにぶつかってしまったのだろう。ガタイのいいその男は舌打ちするとスタスタと歩いて行ってしまった。
僕は彼女に歩み寄り、手を差し伸べた。

女の人は軽く足をひねってしまったようだったので、肩を支えて近くのバス待ちのベンチに座らせた。この時間にもうバスは来ないし、誰かの邪魔になることもないだろう。
「あ、あの、ありがとうございます」
「い、いえ…」
このまま立ち去っていいものか考えていたら、返事がもたついてしまった。
「さっきの店員さん、ですよね?コンビニの」
「はい」
「ケーキ、まだあったんですね」
「あっ、いえ!これは違うんです!僕が予約してたやつなので、店売りのはもうなくて」
しどろもどろに言い訳する僕に、女の人は白いため息を吐き出した。
「ごめんなさい、親切にしてもらったのに責めるようなこと言っちゃって。そうですよね、店員さんもクリスマスのお祝いしますよね」
「あ、いえ…」
そんなんじゃないけど、本当のことは惨めすぎて言えない。
「すっかり忘れちゃってたんですよね、今日がクリスマスだって。まだ先だと思ってて」
疲れ切った目の下には化粧で隠せないくらいの濃いクマができていた。
「娘が楽しみにしていたのに、忙しくて忙しくて気が回らなくて」
恋人と食べるのじゃなくて、娘さんへのケーキだったのか。でも。
「あの、それならお父さんの方が準備したりとか」
「あっ、うちシングルマザーなんです。こんなふうに全然ちゃんとできてないですけど」
自嘲する女の人がなぜか母の姿と重なり、僕の底から何かが湧き上がってくる感じがした。
「それならこれ、食べてください」
急に大きな声が出たもんだから、女の人も僕自身もびっくりした。
「でもそれ、店員さんの」
「いいんです、実はこれ」
大声の勢いに任せて赤裸々な事情を打ち明けると女の人は目を丸くして、僕から顔を背けて口元に手をやり、やがて我慢しきれなくなったのか大きな笑い声を上げた。
僕もそれにつられてゲラゲラと笑った。久しぶりに、心の底から。ゲラゲラと。
「ご、ごめんなさい、笑って。でもほんとにそんな人、いるなんて」
「いるんです、ここに」
顔を見合わせて笑いケーキを渡すと、素直に受け取ってもらえた。
「ありがとう」
イルミネーションより華やかに、鮮やかに咲いた笑顔。脇役も悪くはない。