2023年02月19日 20時31分
五月の低い空 1
道行く人々が皆自分よりも幸福に見える。忙しそうにしながらもどこか充実して見えたり、誰かと幸せそうな笑みを向けあっていたり、待ち人のもとに急いでいるように見えたり。
そんな風にしてどこかに向かうことなんてもう何年もしていない。仕事に向かうときには時間に正確な鉄道を使い、そのまま定時まで職場に籠もり続ける。衣類などのかさばる買い物も通販で済ませることが多い。日用品や食料の買い出しはメモを取っておいて手短に済ませる。誰かとの待ち合わせなんて滅多にない。デートなんて言わずもがな。
恋人と別れ、数少ない友人たちとの付き合いも年々疎遠になっていき、ただただ同じような毎日をなぞっているだけ。他者との関係性が薄れていくにつれて、自分という存在が希釈されて水のように無味簡素なものになっていく感じがする。
そんな日々にある種の心地良さはある。アラームが鳴る前に目が覚めた朝、時間を確認して再び布団の中に潜り込んだときのような、焦燥感を伴う心地良さ。
羊水の中に揺られる赤ん坊も、きっと同じような感覚なのだろう。何ものからも隔たれて、守られて、ゆらゆらと揺れていられる。でも身体はそこに居続けられないくらいに育っていき、いつか外界へと放り出される日が来る。産声は狭い胎内から解き放たれた歓喜なのか、それとも絶対の庇護を失った絶望なのか。
なんにせよ、そこから始まるのは長い道のりだ。順風満帆に運ぶわけなんかない、喜びも苦しみも同じくらいにあると言われている、長い長い旅路。
その最中にあって、僕は自分というものがわからなくなっていた。そりゃ生年月日に氏名に年齢、住所や職業はわかる。マイナンバーまではさすがに暗記していないけど。まあとにかく、それらがわからなければ実生活を営むことなんてできない。わからない状態なら何らかの保護制度を受けるか、施設に入ることになるだろう。
僕が言いたいのはそういった役所に提出する書類に記すようなことではなくて、書類には記せない自分自身、山辺義彦という存在についてということ。モラトリアム中に答えを見つけておくのが適切な気がする問題。でもたぶん、答えなんて一生見つからない難問。
僕はいったいどんな人間だったんだろう。惰性の日々に埋没して、年々自分の輪郭がぼやけていくように思える。しかし思い返してみると、確たる自分なんて本当にいたのだろうかとも思える。
人の記憶というものは言語を獲得したときから蓄積されていくものらしい。二三歳くらいの頃からなんとなく意味ありげな言葉を発するようになるが、そんな頃の記憶なんてある人はそうそういない。崩れたプリンみたいにあやふやな言語力しか持っていないから、記憶もそれ相応のものになるということか。
誰にだってプリンの欠片みたいに断片的な記憶くらいはあるが、明確なエピソードとして覚えている人がいればそれはたぶん天才の類だろう。もしくは親や親類から聞いたエピソードを、断片的な記憶にくっつけて覚えていると思い込んでいるだけ。
だから僕の持つ昔の記憶も、親や親類や友人から聞いた話を繋ぎ合わせて作りあげたプリンだと思っていただきたい。妄想や理想や憧れのカラメルがたっぷりとかけられプリン。思い出のエピソードが輝いているのは、多かれ少なかれこのカラメルがかけられているせいだろう。たぶん、いまの自分に満足していない分だけ、増量されるカラメルが。
みそ(鳩胸)
みそエジプトの日記、エジプト旅行記みたいになってる。
2023年02月19日 20時32分