2023年02月12日 20時30分
ときぐすり
時間が経てばきっと忘れられるよ。いつまでも悲しいわけじゃないよ。やまない雨はないよ。
そんな優しげな言葉をかけられるたびに、私の内側には嵐が吹き荒れる。慰めのつもりで言ってくれているのはわかってるけど、子どものように泣きわめきたくなる。
それっていつなの。あと何日後。何月何日の何時。そんなときがくるのなら、教えてよ。もしそのときになっても悲しかったら、嘘つきって言うから。
まさかそんなことを言うわけにはいかないから、ありがとうございますと言って、やる気のないバイトよりも無感情に頭を下げる。そうしないと、慰めたつもりになっている人は満足しない。
こっちは耳にタコができるほど聞かされた慰め文句でも、言う側は初めてなのだから。
婚約者に先立たれたかわいそうな女を、慰めてやってるいいひとな自分。
たぶん人生でそんなに回ってこない役柄に戸惑いつつも、私の琴線に触れそうな言葉を探している。自分はいいこと言ったな、って思いたがっている。あの女は自分の言葉で立ち直れた、って悦に浸りたがっている。
こっちはご愁傷様ですなんて耳に馴染みのない言葉だけでお腹いっぱいなのに、その後に何かひとことでもふたことでも付け加えなくちゃって思い込んでる。
いらないよ、そんなの。そっとしておいてよ。土足で踏み込まれたくないところを、荒らさないでよ。
どんな言葉も乾いたスポンジみたいにじんわり受け入れられればよかったのに、私の心は思っていた以上に頑なで、まるで染み込む余地がない。
あの人と過ごしてきた日々の思い出と、そのぶんだけ深くなる喪失の悲しみが、奥の奥まで染み込んでしまっている。
きっと私はそのどちらも失いたくないと思っている。ひとり残された悲しみでさえも、あの人がいた証であるように思えるから。
いつまでもこのままでいられたらいいのにと思う。ありし日のささやかな思い出たちを頭の中に映し出して、胸が締めつけられるように痛くなって、それでも、甘やかな気持ちが根雪のように残って。
そんなふうに思い返しながら過ごしても、思い出は風化していってしまう。時間という風に削り取られていき、あとに残るものはなんなのか。それを知るときがくるのがこわい。
言葉も、仕草も、においも、その全てを覚えていられると思っていたのに、気がつくとどこかが抜け落ちている。削り取られたかけらを探しても、私の中に落ちているはずなのにどこにも見つからない。
ごめんなさい。ごめんなさい。
覚えているって誓ったのに、覚えてなくちゃならないのに、私は、どうして。
胸の中にいるあの人はちょっとさみしそうに微笑んで、それでいいんだよ、と言ってくれる。そういう人だった。
私がどれだけとんちんかんなことをしても、あの微笑みでつつみこんでくれる。闘病生活で弱りきっていたときだって、自分が一番つらいはずなのに、泣きわめく私をなだめてくれた。
なだめついでに無神経なことだって言った。
「僕が死んだらそのときは、遠慮なんかしないで別の誰かと一緒になっていいからね。お墓の下からはたぶん、見えないから」
冗談めかして言われても、そんなの素直に聞き入れられるわけなんかないのに。怒った私がなんて言ったのかよく覚えていないけど、あの人の胸をたたいたときのさみしい薄さと、ほほを寄せたときの切なくなるにおいは、まだ覚えている。
やせ細った身体なのに、どくどくと脈打つ心臓の音も、よく覚えている。残された時間を懸命につなごうとする、あの生きている音を。
まだ、まだこんなに、生きているじゃない。こんなに生きたがっているのに、どうして。
あの日の悲しみをそのままに取り出して、眺めて、聴いて、味わっている。そのつもりなのにどうしても、どこか違う。
たぶん、時間のせいで失われたなにかが、そこにはあった。でもそれがなにかは、思い出せない。
まるで比較できる絵のない間違い探しみたいに、意地悪でもどかしい。もう一枚の絵、正解の絵は、過ぎ去ってしまった時間の中にしか存在しない。二度と戻れない、時間の中にしか。
そのことがひどく悲しくて、さみしくて。でも、どこかで、ちゃんと思い出せないことにほっとしている自分もいる。
忘れたいわけじゃない。でもすべてを事細かに覚えていたら、悲しみの重さに押し潰されてしまう。そんな気がする。
忘れていってしまうのは、そうならないためのストッパーなのかもしれない。たとえ忘れていったとしても、気持ちだけは残る。
あの人といた喜びも痛みも、悲しみも愛情も、それはそのまま、ここにある。私の中にある、大切な宝物をしまっておくところに。
きっといつかその場所で、あなたとまた会える気がする。だから、そのときまで。