みそ(業務用)の日記

2022年05月17日 21時51分

5月の空は 後編

その翌朝、つまり今朝、わたしは暗いうちにひっそりと家を出た。荷物を去年買ってもらった水色のキャリーケースに詰めて、転がさないように持ち上げてエレベーターに乗った。
家族に無断で家を出ることを家出と言うなら、これがわたしにとって初めての家出だ。
曇天の空のした、キャリーケースをゴロゴロと引きながら駅までの道程を歩くと、少しだけ大人になれたような気がした。
そのままおじいちゃんとおばあちゃんの住む前橋まで行くつもりだった。買ってもらったばかりのスマホで、乗り換えの駅も切符の値段も調べてある。お金は往復することを考えなければじゅうぶんに足りる。でもわたしの足は、最寄り駅の待合室で止まってしまった。
一体何がわたしの足を引き止めているのかわからないまま雨が降り出し、静まっていた駅の構内には活気が溢れていった。
こんなところで止まっていたら、パパも静流さんも起き出してわたしの家出がバレてしまう。前橋の家に行ったところでパパに連絡はいくだろうしバレてしまうのは同じだが、すでに着いたわたしを追い返すなんてことはしないはず。
なら早く出発して電車に乗ってしまうべきなのに、足が進まない。
何組もの家族連れを見送るばかりで、わたしはここから一歩も動けない。
わたしはひとりでも、行かなきゃならないのに。でも、いったいなんのために。
「何やってんだよ、お前のトイレ待ちで乗りそびれちゃったじゃん!」
「しょ、しょうがないじゃん、夜寒かったんだし!」
男の子の兄弟を先頭に、賑やかな家族連れが待合室に入って来た。
「まあまあ、大介。そんなに圭介を責めるなよ」
「でも、こいつのせいで着くの遅れちゃうじゃん!せっかく楽しみにしてたのに!」
お父さんの言葉にじだんだを踏む男の子を、お母さんが優しくなだめた。
「大ちゃん、早く着いても圭ちゃんを置いてっちゃったら意味ないでしょう。みんな一緒に行かないと」
お母さんの言葉にハッとした。
ああ、そっか。わたしの足を止めていたのはそれだったんだ。わたしひとりで行っても、意味ないじゃん。静流さんも一緒じゃないと、おじいちゃんとおばあちゃんに紹介できないじゃん。
わたしばかり気が急いでもだめなんだ。おじいちゃんとおばあちゃんが、静流さんを受け入れる準備が整うのを待たなきゃ、だめなんだ。
静流さんはわたしの準備が整うまでじっと見守ってくれた。ふてくされた態度を取っても、無視をしても、根気強く接してくれた。
わたしもそんな風にしなきゃならないんだ。押しかけて無理やり開くんじゃなくて、パパがしてくれたように静流さんのことを伝えて、おじいちゃんとおばあちゃんの準備が整うのを待たないと。
「陽咲ちゃんっ!」
切羽詰まったような声に見上げると、肩で息をする静流さんが待合室の出入り口に立っていた。髪はボサボサのままで化粧っ気もなく、ジーンズとティーシャツというそこら辺にあったものを着込んだような格好で。
注目が集まっているのも構わず、静流さんは驚いて座ったままでいるわたしを抱きしめた。
「ああ、よかった!どこに行ってしまったかと!」
遠慮も何もなくキツく抱きしめられて少し苦しかったけど、ひなたのようなぬくもりに目が潤んだ。こんな風に抱きしめられたのなんて、久しぶりだったから。
「ごめんなさい。ごめんなさい、静流さん。わたし、酷いこと言っちゃったのに」
「いいの、たとえあれがあなたの本心でも、それを受け止めるのが私の努めだから」
ぎゅっとすがりついて、子どもみたいに泣いてしまった。
受け入れられている。守られている。愛されている。そんな言葉にするとちょっと恥ずかしいようなことを実感して、ぼろぼろぼろぼろと熱い涙が流れ続けた。
やがて涙が収まると、いつの間にかパパもその場についていて、三人で頭を下げていそいそと待合室を出た。
備え付けのパーキングに停めてあったパパの愛車に乗り込むと、誰からともなく笑いが漏れた。
「いやあ、大注目だったな」
「ほんと恥ずかしい。わたししばらく駅使えないかも」
「ゴールデンウィークだし、みんな見なかったことにしてくれるよ」
さらりと静流さんが言って、わたしたちは声を揃えて笑った。
「いやでも、ほんとによかったよ。陽咲が無事に見つかって。光になんて報告すればいいんだって、気が気じゃなかった」
「ママに?」
「ああ」
パパはしまったという顔をして助手席に座った静流さんを見た。でも静流さんは柔らかく微笑んでいたから、わたしは調子に乗って聞いてみた。
「パパ、今でもママのこと愛してるの?」
「えっ、それは…」
静流さんは気にしないでと言うように、こっくりとうなずく。
「うん、愛しているよ」
それを聞いて、わたしの胸で長いことくすぶり続けていた線香花火はパッと咲いて消えた。またいつか出てくるのかも知れないけど、それは遠い日になるような気がする。
「あっ、もちろん陽咲のことも、静流のことも愛しているからな」
「あっ、ついでのように言った」
「まあ珍しく言葉にしてくれたんだし、許してあげましょ」
気まずそうな顔で頭をかくパパに、わたしと静流さんは目を合わせて笑った。
いつの間にか雨は止んでいて、晴れ間の差す空には虹がかかっている。きっとママも、どこか遠くでこれを見ながら、笑っているように思えた。

t…‥u

後編?前編あるのね ちょっと辿らせてね

2022年05月17日 21時56分

t…‥u

静流さんいい人過ぎる位いい人ですね~

2022年05月17日 22時05分

みそ(業務用)

t…‥uさん 長いのに全部読んでくれたのですね、ありがとうございます。こうして読み返してみるとなぜこの父に静流さんが惹かれたのか謎ですね。

2022年05月17日 22時09分