みそ(豆ルギー)の日記

2022年05月08日 18時42分

ー帰路ー

映画でもドラマでも漫画でも、何かで成功する人を見るのがつらい。その上最後に、この物語は実話を参考にしました、なんて注釈が出たら最悪だ。もう二度とこの監督や作者の作品なんて見るものかと思い、その名を心の中にあるブラックリストに刻みつける。うっかり忘れてしまうくらいには曖昧なリストだが。
成功というのは一握りの選ばれた人だけが掴み取れるもので、大多数はそんなもの自分には縁遠いものだと思って生きている。もちろん俺だってその大多数の一人。ギシギシと軋みながらも、騙し騙し動き続ける社会の歯車。
自分には特別な何かがあるだなんて夢見がちな思いは、大学生の頃に捨てた。モラトリアムの中にあってそれを捨てられるなんて、我ながら始末のいい男だ。でもそれはつまらない男とも言えるし、実際にそう言われもした。

「君の書くものってなんか物足んないんだよね。文章力はあるし悪くはないんだけど、それわざわざ書く必要あんのって思っちゃう」
演劇サークルの先輩は咥えタバコでそう言った。ベッドの上で吸うのはやめてくれと言っていたのに、彼女は馬の耳に念仏とばかりに行為の後の吸い殻を積み上げた。下着くらいは身につけてくれとも言っていたが、真冬でもない限り魅力的な曲線を描く裸身を惜しげもなく見せびらかした。
恥じらいという言葉とは無縁の人だった。常識や社会通念と言ったものに縛られることに安心を見出す俺には、そんなところがカッコよく思えて、憧れていた。
「でも突拍子もないものを書いたってしょうがないじゃないですか。日常の中にあるふとした喜びとか、身悶えするような恥ずかしい思いとか、そういうので共感を得たいんですよ」
俺は昔から映画やドラマが好きだった。それも普通の人々を描いた、地味なヒューマンドラマやラブストーリーが。まあスクリーンやテレビで演技をする男優も女優も普通の人々とはかけ離れた容姿をしているが、そこんとこには目をつむって。
日常に根ざしたストーリーは深く感じ入ることができるし、あれこれと考えさせる余韻を残す。ハデなばかりで中身のないハリウッドなんかクソ喰らえ。そんな思いで俺は頭でっかちな日常系の脚本ばかりを書いていた。
灰皿代わりの空き缶に灰を落としながら、先輩はケタケタ笑った。
「出た!お得意の日常論!そりゃもちろん共感を得るのは大事だよ。でもさあ、それだけで人を引き込むなんてできないじゃん?やっぱり何かしら見せ場がないと、見てる側はダレちゃうのよ」
「それは、確かにそうです…」
自分でも思っていたところを突かれてぐうの根も出なかった。日常的なストーリーにハリウッド的なドンデン返しを持ってくるのは愚の骨頂だが、淡々と終わらせてばかりでは物語的な面白さに欠けるし印象にも残らない。それでも余韻を残せるほどのセンスも技術も、俺にはなかった。
ため息をつく俺をじっと見つめて、先輩はさらりと言った。
「ねえ、ナマでしてみる?」
まるで散歩に誘うかのような気軽さで。薄いタオルケットの下の膝を、誘うように開いて。
「ななっ、何言ってんすか!?」
綺麗に声が裏返った。カラオケでもこれくらいの声量で高音を歌えていたら、きっと俺はもう少しモテていた。
「新しい感覚を知ればさあ、なんか閃くかもしんないじゃん。そのとき背中に電流が走った!みたいな」
からかうような声とは裏腹に、俺を見つめる目は真剣だった。
ゴクリとつばを飲み込んで想像してしまった。薄っぺらい道徳心の隔たりをなくした、ハチミツみたいに絡みついてくる、熱くて甘い悦楽を。
「ふふっ、準備はできてるね」
陶然とした笑みを浮かべて、彼女は俺自身に触れた。ボクサーパンツを突き破らんばかりに張り詰めた、未知の可能性に震えるそれに。
「出したばかりなるのにこんなになるなんて、やらし」
形に沿うように撫で回していた手がウエストに伸び、パンツを下ろされそうになったところで理性が働いた。
「まま、待って!やっぱりダメですって!」
手を払いのけた俺を見て、彼女は肩をすくめた。
「つまんない男。まあ、それが君のよさでもあるか」
小馬鹿にしたような笑みで言う彼女に、俺は謝ることしかできなかった。一体何に謝っているのかはよくわからなかったけど。

それきり彼女との肉体関係はなくなった。それと同時にサークルも辞めた。自分の内側にあるのは平凡な価値観とそれを保持する臆病さだけで、創造的なものは何もないと気付かされたから。俺は自分の可能性を探るのをやめて、身の丈にあった生き方に流れた。
あのとき、彼女の誘いに乗っていれば、俺は何かを掴めたのだろうか。創造的で、輝かしい、未知の何かを。
それを邪魔したのは恐怖心だ。
もしも赤ちゃんができてしまったらと考えると、とても踏み出せなかった。どちらも何の財力もないただの学生だ。責任を取るなんて口が裂けても言えないし、なんとかすると言い張れる度胸も俺にはなかった。想像するだけで吐き気がして、怖気づいた。
自分の未知の可能性に賭ける冒険心よりも、先の知れた日常に踏みとどまる安定を選んだ。そしてそれが俺の限界なのだと悟った。
間違った選択ではなかったと思う。でもふと後悔してしまう。あの日から遠く離れて、子どもも生意気言うくらいまで育って、人生これからだってときなのに、未練に袖を引かれて、選ばなかった道を振り返ってしまう。
そして想像してしまう。限界を超えたものを掴み取り、脚光を浴びる自分の姿と、その隣で微笑む彼女のことを。
まったく現実感のない、子どもじみた妄想。でもそこにいる自分は今よりも輝いて、眩しくて、生き生きと笑っている。そこには我慢も妥協も惰性も何もなく、ただただ希望と幸福に満ちていた。
そんな妄想をしてしまうのは、選んで歩いてきた今への裏切りになるのだろうか。
堤防沿いの遊歩道は暁に染まり、そこを歩む人々の影を長く伸ばしている。きっとそれぞれ帰るべき場所があるのだろう。自分たちで選んだ居場所が。
「パパ!」
河原の土手を駆け上ってくる娘の姿。ひとりで水切りをするのにハマっていて、他の子たちとうまく馴染めていないんじゃないかと妻は心配している。
そのときは妻の気を落ち着けるために同意したが、俺はそれでもいいんじゃないかと思っていた。平凡な両親と違って、人と違った感性を持って生きる娘が、自由なあの人に重なって見えて。
俺はできるだけ、この子の可能性を閉ざさないで生きさせてやりたい。そのせいで本人が苦労することも多々出てくるだろうが、それを支えるのが俺の使命だと思っている。後ろを振り返って目を細めるような生き方は、きっとこの子に似合わない。
駆け寄ってきた娘を抱き上げると、その手になにか持っているみたいだった。
「なに持ってるの?」
「お花!ママにあげるの!」
夕陽の影になったそれは大粒の涙のようにぷっくり膨らんだ形をしていて、花はどこにも咲いていなかった。
「お花って、それまだ蕾だよ」
「いいの!ママのところにつくころには咲いてるもん!」
「そっか、そうかもな」
そんな可能性もあるかもしれない。小さな太陽のようにあたたかい、この子のてのひらに守られた蕾なら花開くかもしれない。ひょっとしたらまだ、誰も見たことのない花が。たとえ咲かなくても、受け取った妻の心はきっとほころぶ。

フェフィフォー

ナマでなんて言う奴大体地雷
過去の記憶って何故か美化されがちですよなぁ

2022年05月08日 18時51分

みそ(豆ルギー)

フェフィフォーさん だいたいヤバいやつです。
隣の芝生は青いみたいな感じになりますよね。

2022年05月08日 20時08分