2022年02月02日 21時11分
また会えるから ランドセル
ひとりの家に帰ってきたときになにが切ないって、明かりをつけるときだ。狭いアパートならまだいいけど、こんな昔ながらのだだっ広い一軒家だと、特に。やっぱり和恵ちゃんについてきてもらえばよかったかと、ちょっと後悔する。
病院から祖父の家まで車で送ってくれた和恵ちゃんは、
「ひとりで大丈夫?あたしも今夜は泊まろうか?」
と聞いてくれたのに私ったら、
「もう子どもじゃないんだから大丈夫だよ。ひとりで考えたいこともあるし」
とカッコつけてしまった。いつまで経っても子ども扱いしてくる和恵ちゃんに、背伸びしてしまった。
暗い玄関に荷物を放り出すと、私は片っ端から家の電気をつけて回った。祖父の帰りが遅くなる夜、そうしていたみたいに。
落ち着いて眺めると、数年ぶりに帰ってきた祖父の家は時が止まっているかのように、私が暮らしていたころとまるで変わっていなかった。いわくありげな置物も、人の顔のように見える木目も、私がペタペタと貼り付けたシールも、何も変わらず。変わってしまったのは私と祖父だけだ。
奥の仏間に入ると仏壇に手を合わせ、祖母と叔父か叔母に祖父の様態をありのままに伝えた。
というわけでおじいちゃん、もうすぐそっちに行くかも。ああ、でも、もう少し待ってもらいたいな。話したいことはたくさんあるし、花嫁姿だって、見てもらいたかったのに。いや、相手もいないんだけどね。まあとにかく、見守っててください。
締めくくりに景気よくおりんをチーンと鳴らす。よくおりんや木魚を鳴らしては、祖父に怒られたっけ。
和恵ちゃんから祖母にまつわる話を聞くまで、仏間は怖いところだった。
「んーと、死んだ人がおられる場所、みたいな」
母にそう説明されていたせいだ。小さな子どもがそんな説明をされたら、そりゃ怖がる。私の頭の中で仏間は、墓場から抜け出してきた死体たちが夜な夜な踊り明かす場所になっていた。スリラーみたいな感じで。
でも和恵ちゃんから話を聞いてからは優しいばあばと赤ちゃんがいるところになって、寂しくなるとよく仏壇に向かっておしゃべりしたり、お坊さんが座るやたらふかふかした座布団で眠ったりするようになった。それを見た祖父から、毎朝小さな湯呑と茶碗にお水とご飯を入れてお供えする役を言いつかった。そんな些細なお役目でも、幼い私にとっては誇らしかった。
2階にある私の部屋もそのままだった。ちゃんと掃除もしてくれていたみたいで、机の上にホコリも溜まっていない。
祖父に感謝しつつ部屋着に着替え、ベッドに倒れ込んだ。畳敷きの部屋にそぐわないベッドは、私が小学校に入学するときにねだって買ってもらった。ルナの家に遊びに行ったときに散々自慢されて羨ましくなって、渋る祖父にあらゆる手を使ってねだった。
「地面から浮いたもんで寝るなんて、尻が落ち着かねえや」
そんなことを言っていた祖父が、今は病院のベッドの上にこじんまりと収まっている。あんなにもやせ細り、小さくなって。
いけない、思い出すと泣きそうになってしまう。
ベッドから起き上がると、気を紛らわすために部屋を片付けることにした。大学に入るときに家出同然で出てきた部屋は物が多い。
勉強机には教科書や参考書とともにかわいいだけで実用性のない文房具が並び、本棚には漫画やティーン向けの雑誌と一緒に当時ハマっていたアーティストやアイドルのCDが詰まっている。本棚の上に鎮座するCDコンポはまだ現役なのだろうか。
押入れの中は雑然としている。いらないと思うけどひょっとしたらと思うような物が詰め込まれている。大抵そういうものは使うことなんてない。
雑誌の付録のポーチやペラッペラのバッグや財布、CDコンポの箱の中にはルナが置いていったであろうオカルト雑誌(ルナはなぜか私の部屋の押し入れがお気に入りだった)、バドミントンのラケットや幼児向け番組のおもちゃに卒業証書。こんなのあったなあと楽しく懐かしく思う反面、こういうのも全部整理しなきゃなあと思うと気が重くなる。
とりあえず今はそういうことは考えまいと思ってさらに探索を続けると、ランドセルが出てきた。すっかり色あせて、皮にはシワが寄って、背負紐は擦り切れている。
こんなに小さかったっけと思って持ち上げると、中に何か入っているような音がした。引っ張り出して開けると、中からはエグザイルがつけていそうなゴツいサングラスと、安っぽい金のネックレスが出てきた。
「ああ」
思わず笑みがこぼれる。これが使われたとき、私は祖父に呆れて、大好きになった。