2019年02月03日 20時54分
春は遠く
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「春になったら、桜を観に行こう。今年の開花は、なんとなく、早い気がするの」
途切れがちな掠れた声で君が言った。もう声を出すのも苦しそうで痛々しい。
ベッドから伸ばされた、冬枯れの桜の枝みたいに痩せ細った君の手をそっと握る。枯れ葉のように乾いて握り返す力は弱々しいのに、確かにあたたかい。
「一緒に観に行こう。約束だ」
君の言うように開花が早くてもたぶんその約束は果たされない。心の奥底ではそう思っていながら約束なんて言うのは酷いことなのだろうか。約束を果たすために、一分、一秒でも長く生きてほしい。それだけが僕の望みだった。
「うん、約束」
風が吹けば散ってしまいそうなはかない微笑み。きっと君も、それまで自分の命がもたないことをわかっているのだろう。それでも指切りしてくれた。
「私と約束したんだから、あなたひとりでも、ちゃんと生きて、桜を観てきてね。来年も、またその次の年も、ずっと」
これまで散々苦しみ、病と戦ってきた君にそんなこと言うなよとは言えなかった。
「気の遠くなる話だなあ」
「がんばって」
君は僕の目を見つめて、やさしく微笑んだ。からだは蝕まれて痩せ細っても、僕の目を見つめる目の輝きはあの日とかわらない。短くああと頷くと、目に溜まった涙がこぼれ落ちそうになった。
それを気づかれないように窓を見ると、蛍火のように淡い雪が舞っていた。このまますべてが雪に埋もれて、春なんかこなければいいのに。まだ遠い春の気配に僕は怯えていた。