2018年08月18日 21時32分
お尻歩き
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皆様は尻歩きなるものをご存知であろうか。古くはその起源を古事記にまで遡ると言われている。
かの天照大神が天岩戸に籠りしとき、ある一柱の神が下半身をさらけ出し、胎児のごとき格好で大地にぷりぷりとした尻を押し付けた。この神、尻関連のことすべてを司る神で、名を屁尻神(へじりのかみ)と言う。
こやつ気でも狂ったかと戦慄する神々をよそに屁尻神は、大真面目な顔でえっちらおっちらと気合いを入れて右尻左尻と交互にずりずりとして、尻を足がわりに歩くかのごとく珍妙な様を披露した。
これには天照の引きこもりに頭を悩ませていた神々も大いに笑い、なんぞあったと気になった天照はつい岩戸からひょっこり顔を出したそうな。
久しぶりに見る外界の眩しさに目を細める暇もなく、天照の目に飛び込んできたのは、大真面目な顔で額に汗かき尻を蠢かせこちらに迫り来る屁尻神の姿。真っ正面から見たものだから当然、屁尻神の立派な尻と比べてやけに貧相な、ちまちまと申し訳なさそうに見え隠れするものも目に入ってしまう。
天照は尻も裂さけんばかりに悲鳴をあげると、即座に岩戸を閉じた。それも前よりも念入りに、厳重に、尻はおろか屁の入り込む隙間もないくらいに。
屁尻神はおいこらどうしてくれると暴挙を神々から大いに責められるも、爆音の放屁の一喝によりこれをしりぞけた。そして飄々と尻を揺らしながら、無闇に厳かな口調でのたまった。
「皆様方さぞかしお怒りのご様子。こうなれば私は尻を揺らして逃げるより道はなし。皆様、後はお頼みしますぞ」
言うが早いが屁尻神は尻歩きへのこだわりなんぞあっさり捨てて立ち上がり、尻に二三発ほどの吹き矢を受けながら綺麗な姿勢で走り去ったという。
「なんじゃあやつは。事態をややこしくするだけして立ち去りおって!」
「まったく、なんでわしらがやつの尻の後始末をしなければならんのか!」
「やつの尻を拭わされているような気持ちだ!」
これが尻拭いの語源であると言われている。
この後は皆様もご存知の通りアメノウズメの脱衣によって事なきを得る。つまり屁尻神はまったく活躍していない。むしろ屁尻神の行いは天照の警戒心を強め防壁をより強固にしただけと、頭を悩ます神々の尻を、おっと失礼。足を引っ張っただけである。
陽気なだけが取り柄の親戚のおじさんみたいな神ではあるが、驚くべきことに熱烈な信者が全国津々浦々に潜んでいる。信者は老若男女問わず、その数は寂れた田舎の人口よりも少し多いくらいとされている。この者達は常日頃しれっとした顔で二足歩行をしているが、家に帰ったとたんにその本性をあらわにする。
ここでごく一般的な屁尻神信者である、みその某の生活を見てみよう。
1日の仕事を終えて家に着くとみその某はまずトイレで体育座りをする。その視線の先には神々しい尻像が鎮座ましましている。
トイレは屁尻神の尻を象った尻像を安置する場所と決められており、神を奉る神聖な場所であるため、屁尻神信者の家のトイレは常に念入りに掃除がされている。異様にトイレが綺麗な家があったら、その家主は屁尻神信者である可能性が高い。
尻像を前にしたみその某は膝の前で神妙な面持ちで手を組む。これはどうしようもない人生を憂えているとかそういうおセンチなことではなく、屁尻神に1日を無事に終えられたことを感謝しているのである。
屁尻神様、今日も1日を平穏無事に終えることができました。あらゆる尻の困難もなく、おしりのようにまるく平穏無事に。おしりしり。
祈りを終えると彼はおもむろにもぞもぞとズボンを脱ぎ捨て、さらには気分次第で下着も脱ぎ捨てる。男でも女でも、屁尻神信者の下着はティーバックが望ましいとされている。(蛇足だが、みその某は7色のティーバックを所持しており、たまに床に並べてティーバックの虹を作って喜んでいる。奇怪な人間だ)
尻が剥き出しでないと尻歩きをしたさいに布地が擦れて痛いし、高速でずりずりする尻の下敷きになった布地は尻圧により無惨に破けてしまうからである。どうせ破けてしまう布地ならば、最初からない方がいいのは自明の理だ。
尻歩きをする際の正装になったみその某は海に放流された鮪のごとく、自慢の尻でトイレからすいすいと出て狭い廊下を黒潮のごとき勢いでつるりと滑り、六畳一間の大海原を縦横無尽に泳ぎ回る。尻で。ちなみに彼はトイレから六畳に至る廊下をオシリングロードと呼んでいる。センスの欠片もない呼び名だ。
足で歩くよりも先に尻歩きを叩き込まれる屁尻神信者たちは、二足歩行するよりも尻歩きの方が断然身軽に動ける。気持ち悪いとか言ってはならない。
みその某なんぞはその特徴が顕著なもので、普段はよく机やドアに体をぶつけてちょっとした段差にもつまづくが、尻歩きをするときびきびと素早く動きあらゆる障害物をなんなくしりぞける。
陸上競技なんかは尻歩きを解禁すれば、その世界記録は尻を拭く間に塗り替えられると言われている。それほどまでに彼らの尻歩きは俊敏なのである。
屁尻神の信者同士は互いにそうであることを見抜ける。彼らの尻は常人から見ればただのちょっと形の整ったそれにしか見えぬが、尻に関して並外れた知識と探求心と、背徳的なスケベ心を抱く信者の目は誤魔化せない。彼らにとって余人の尻をチェックすることは生き甲斐みたいなものだ。
日々のうのうと椅子やらクッションやらに落ち着けるだけでは、発達するはずのない尻筋の発達。尻歩きで酷使されることにより生じる微妙なくたびれ感。一般的な尻には生じえない、実用的な尻のみが持ちうるそういったニュアンスを彼らは鋭く嗅ぎ分ける。
無論、嗅ぎ分けると言っても物理的に嗅ぐわけではない。天下の往来で堂々と尻を嗅ぎあって許されるのは犬猫くらいのものである。人間がやってはたちまちぱしゃりとやられてSNSなんぞに拡散されてしまう。
いずれは天下にその名を轟かせてやると虎視眈々と機会を窺う彼らではあったが、なかなか尻が見直される社会は訪れない。だいたい乳に負けている。(蛇足だが、みその某も実は乳信者でないかと噂されている。まったくもって節操のない男だ)
新たな年号に尻という字が使われるか、もしくは今年の漢字に尻という漢字が選ばれたのならば、その時こそは我らが立つべき時である!と息巻くも毎回かすりもしない。年号や今年の漢字に尻が選ばれるような国は嫌だなあ、と彼らもうっすら思っているからほっとするやら悲しいやらである。
そうした悲哀の念を抱えた彼らはすれ違い様に互いの尻をぺちりと叩いて慰めあう。スポーツマンたちが互いの健闘を称えあったり、勝利の喜びを分かち合うときによくやるハイタッチになぞらえ、彼らはこれを尻タッチと呼んでいる。(蛇足だが、みその某はよく信者と間違えて一般人にも尻タッチをしてしまい、戦々恐々とした目で見られているらしい。大方好みの男の尻だったのだろう)
尻というしばしば下世話なイメージを抱かれがちな代物に、少しでも爽やかなイメージを付けようと、スポーツマンシップ的なものに則ったコミュニケーションを取り入れたわけである。しかしながら少々煩悩がお強いおじ様もしばしば尻タッチをするため、これが真に爽やかな行為であるかは議論が分かれている。
いかにスポーツマンシップ的なものに則ったコミュニケーションであろうとも、男が女尻に触れるにつけ、よこしまな思いが混じらぬ訳がない。これは天地開闢以来の真理であるため、男から女への尻タッチは固く禁じられている。神聖なるスポーツマンシップ的なものに則った尻タッチを、低俗なものにしてはならない。
ちなみに女から男への尻タッチは構わない。むしろ奨励されている。どんな堅物の男であっても女から尻を触られては、骨抜きとなりにへらにへらとしてしまうものだ。歴史に名を連ねる悪女たちも、尻タッチを駆使して男を従えてやりたい放題していたと、近年の尻史研究で明らかになっている。
しかし世は広いもので尻タッチでは物足りず、それよりもはるかに刺激の強い尻叩きを求める埒外な輩もいる。尻を叩くと聞くと、焚き付けてやる気を出させる精神的なことをイメージする健全な人もいるだろうが、この場合は文字通り、ただ己の快楽のために物理的に尻を叩かれるだけである。
尻叩きについて語り出すと本筋からおおいに逸脱し、さらには少々語るに耐えない描写も入り交じるため割愛させていただく。ただひとつ付け加えさせていただくとしたら、みその某も尻叩き愛好家であることくらいである。
さて、ここまで長々しく語れば皆様にも尻歩きの素晴らしさが伝わったはずだ。まずは騙されたと思って尻を剥き出しにし、右尻左尻とえっちらおっちらと動かしてみてはいかがかな。
なあに、恥ずかしがることはない。恥なんぞ持って生まれぬ顔をして、威風堂々尻を揺らすべし。これすなわち尻歩きのみならず、生きる秘訣である。
ひとたび尻歩きを経験すればこれまでとは違った世界に驚くはずだ。手や足なんて飾りに過ぎず、我らの生を輝かせてくれるのはただひとつ、尻である。その真理を体得することであろう。
なに、ちっとも尻歩きの魅力が伝わってこない?それは果たして私の語り力不足なのか、それともあなたの尻への興味の欠乏によるものなのか。
いずれにせよ、諸々の都合により今宵はこれまでとさせていただこう。なに、尻歩きの魅力はまだまだ語り尽くせていない。次を楽しみにしていなさい。
ねこっち
ながっ!(◎_◎;)
ケツだけ星人w
2018年08月18日 21時35分
みそ(鳩胸)
ねこっちさん 文字数制限に引っ掛かるかなあ、と思いつつ投稿したら通っちゃってびっくりしました。
しんちゃんもやっていましたね、尻歩き。
2018年08月18日 21時48分