みそ(業務用)の日記

2018年03月17日 23時38分

春の風 前編

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春はその名前のとおり、桜の花も開きそうな春の日に生まれた。
「あなたが生まれた日はあたたかくて、おだやかな風が吹いていたの。窓辺で木漏れ日が揺れて、風が頬をやさしくくすぐった。だから『あっ、今日、この子は生まれるんだ』ってわかったわ」
お母さんは事あるごとに、春にそう言って聞かせていた。春はその話をしてくれるときの、砂糖菓子のようにふわりとやさしいお母さんの顔が大好きだった。
「いいなあ、あたしにもびゅーって吹いてこないかなあ」
春が心底から羨ましく思って言うと、お母さんは春の頬を愛しむようになでた。
「いつか必ず、春にも同じ風が吹くよ。だからそれまでは、ママが春をくすぐってあげる」
いたずらっぽく笑ってくすぐるお母さんに、きゃーと嬉しそうに逃げる春。それがお決まりのパターンだった。
とはいえ同じ話を何度も聞かされては新鮮味も薄れるし、春だって成長していく。春の中でだんだんと、その風に対する感動は薄れていった。
何度も同じ話を聞かされてきたせいか、耳にタコができる、というたとえを知ったときにはすんなりとその意味を理解できた。これはあたしのための言葉だ!と妙な感動すら抱いていた。
お母さんから同じ話を何回も聞かされて、すっかり耳にタコができてしまった。
春にとって、これほどしっくりくる例文は他になかった。

耳にタコができたころ、春にはひとつの悩みもできた。もちろん小さな悩みはたくさんあったが、とりわけ大きなものが。
それは春という名前についてだった。
音楽の授業のときに、たまたま春というフレーズが出てくる歌を習うことになった。すると、いたずら好きで有名な男の子が「なんだこれ、鈴川の名前を呼んでるみたいだな」とからかうように言った。
鈴川とは春の名字のことだ。
くすくすと忍び笑いが起こり、春の顔がやけどしたみたいに赤くなった。先生が上手いこと取りなして皆を歌に集中させたが、春はそれまでのように、気持ちを込めて歌うことはもうできなかった。
それからというもの春は、教科書などに出てくる『春』という言葉に敏感になった。またからかわれたらと思うと、強い風が吹いているときみたいな気持ちになって、 びくびくとしてしまう。
いっそ塗り潰してしまえばいいのでは。
そう思ったが、そんなことをしても皆の教科書には相変わらず『春』は残ったままだし、なんとなく、お母さんがとても悲しむような気がしてできなかった。