2018年02月27日 21時18分
はねやすめ
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通学路の公園に、いつ見ても鳥がとまっている木があった。
美味しそうな木の実がなっているわけではないし、綺麗な花が咲くわけでもない。特別とまりやすそうな木にも見えない。
もっとも、鳥と違って木にとまる習慣がないわたしには、どんな木がいいのかなんてわからないけど。なにか彼らなりの直感で、この木にとまっているのだろう。わけもなく誰かを好きになったりするように。
朝通るときにも夕方帰るときにも、ふと見ると、その木には鳥がとまっていた。
雨の日に注意して見たことはないが、きっととまっているに違いない。あのよく葉がしげった枝の下なんて、雨宿りにぴったりだもの。
そう考えるとこの木は、なかなかやさしい木に見えてくる。そっと傘をさしかけるようなやさしさが、鳥を惹きつける秘訣なのかもしれない。
その木にとまっている鳥は鳴かなかった。
他の木にとまった鳥たちが、井戸端会議みたいにぴーちくぱーちくと鳴いていても、どうぞお構い無くとばかりに毛繕いなんかしている。
ひょっとしたらこの木は、騒がしいのが苦手な木なのかもしれない。
だからこの木にとまる鳥はそれに配慮して、鳴かないようにしている。木もきっとそれを知っていて、鳥ができるだけやすらげる枝を用意して待っている。
鳥がとまってくれないのは、騒がしいのが苦手なこの木にとっても、たぶんさみしいことだから。
物静かな木と鳴かない鳥は、細い枝と華奢な爪先で、なにかを通じあわせているように見えた。それはとても素敵な、秘密の会話のようだった。
木から飛び立つ鳥は、とても真っ直ぐで、うつくしかった。それを見送る木もどこか誇らしげに見えた。けれど木も鳥も、どちらも少しだけさみしそうだった。
遠く離れたこの場所で、なにかつらいことや苦しいことがあると、ふと思い出す。毎日のように見てきた、やさしく物静かな木を。
わたしはあの木にとまる鳥になって、枝と爪先で秘密の会話をかわす。木はわたしの言葉にならない思いを、静かに聞いてくれる。下手ななぐさめや、小言も言わずに。
ただあるがままに受け止めて、梢を小さく揺らす。その揺れに、幼いころに抱いてくれた母の腕を思い出した。あたたかくて、やわらかいものにつつまれているという、絶対的な安心感。
それをもらって鳥はまた大空に羽ばたく。いつか飛ぶことに疲れても、その木はかわらずに、同じ場所で根付いていると知っているから、羽ばたいていける。
その木にはきっと今でも毎日、鳥がとまっていることだろう。