2018年02月24日 01時23分
粘土職人
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保育園の頃から私は持ち前の非社交性を存分に発揮していた。遊びの時間には皆にまじって遊ばずに、老舗の頑固な職人のごとく粘土をこねくり回していた。来る日も来る日もこねこねと私の粘土はかたちを変えたが、私自身にはなんの変化もなかった。
つまり友だちなんていなかったのである。たまに一緒に遊ぼうと声をかけてくれる天使のような子もいたが、幼い頃の私は言葉をどこかへ忘れてきたようで、今以上にろくに話すことができなかった。意思表示なんてせいぜい頷くか首を降るくらいである。
声をかけてくれて嬉しい、一緒に遊びたい。
そう思っていたはずなのに、私は声を出せずにうんともすんとも言えず、ただ粘土をこね続けた。おそらくどう伝えたらいいかわからず、恥ずかしかったのだろう。すると声をかけてくれた優しい子も、呆れたようにどこかへと行ってしまう。
当たり前である。その子からしたら声をかけてあげたのに無視されたのだから。うん遊ぼう、と答えられなかった私が悪い。
孤独な粘土をこねることになんて飽き飽きとしていたはずだったのに。誰かと一緒に遊びたかったはずなのに。それなのに人と関わらない安心を私は選んだのだ。1人じゃ風呂にも入れなかったくせに、ずいぶんと小生意気なことをする。
保育園には園児が3人くらい入れる、ブロックでできたトロッコのような形をしたおもちゃがあった。車輪もついており、ちゃんとからからと走る優れものだ。
先頭部分にはロープがついており先生がそれを引っ張って走らせてくれるという、園児にとっては夢のような遊具だ。
私はそれに乗りたくて乗りたくてたまらなかった。乗り物が好きで、車や飛行機などをしつこく粘土で作っていたくらいだ。その憧れはかなりのものだった。
ある日、先生が「乗りたい人~」とトロッコの乗客を募っていた。たまたま近くにいた私がなんの気まぐれか手をあげると、あっさり乗れてしまった。
私が乗ったせいか「他に乗りたい人~」と先生がさらに乗客を募っても、乗客は増えずにトロッコは私1人を乗せての出発となった。
皆はこれに乗りわーきゃーと楽しそうにはしゃいでいたのだが、私はあまり楽しめなかった。一緒に楽しめる友だちはいないし、ましてやはしゃぐのが苦手な私である。「それいけー」と盛り上げようとする先生の笑顔も心なしかぎこちなく見えた。
やがてトロッコはがーがーと重たげな音を立てて止まり、私は逃げるようにトロッコを降りた。次の運航はいつも通りにからからと軽やかで、わーきゃーと楽しそうだった。
それを背中に聞きながらこねた粘土は、いつもより重たかった。