2018年02月21日 20時45分
ナナイロ 後編
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今よりもはるかに多くの、虹よりも鮮やかな彩りに満ちていた日々。それはモノクロの世界を生きる、今だからそう思えるのだろうか。
昔はよかった、などと月並みなことを言う大人になんてなりたくなかったけど、そんなことを思ってしまうことが増えた。
窓を濡らす雨を見るともなしに見ながら満員電車に揺られ、会社までの見飽きた道を足早に歩く。皆一様に少しうつむき加減ですたすたと進む姿に、最初は戸惑ったものだったが、今では僕もすっかり溶け込んでしまった。
足元の影ばかりが目に映り、すれ違う人の顔すらよく見えない。そうやって歩いていると、こんなにも人がいるというのに、ひとりであると強く感じる。
人混みの中でひとりだなんておかしなことをと思われるかもしれないが、人に紛れているからこそ感じる種類の孤独も、確かにあるのだ。
やたらと広い駅舎を抜けると、さいわいなことに雨は上がっていた。雲は途切れ途切れになり、すっかり晴天である。
どこかで見たような空だなと思ってぼんやり見上げていると、背中にどんっと重い衝撃を受けて、あやうく転びそうになった。とっさに膝と手をついてなんとか堪えると、頭上からチッと舌打ちが聞こえた。
かっときて舌打ちの主を探したが、迷惑そうな視線と目があうだけで、もう雑踏に紛れてしまったようだった。
駅の出入口で立ち止まっていたのは悪いと思うが、こんな仕打ちを受けるほどのことだろうか。悔しいような情けないような思いがからだを引っ張り、なかなか立ち上がれない。
周囲をざっざっと横切る足音が、立ち上がれない僕を責め立てるように聞こえてくる。焦って立ち上がろうとするも手足が震え、あれどうやって立つんだっけ、と間抜けなことが頭をよぎる。
急かすように強くなる足音に紛れて、声が聞こえた。
「大丈夫ですか」
藁にもすがるように、差し出された手を掴んだ。藁なんかじゃなくて、たしかなぬくもりのある、その手を。
急に伸ばされた手に驚きもせず、そのひとは僕を安心させるように、にこりと笑って立ち上がらせてくれた。あんなに震えていた手足がすっかり、いうことを聞くようになっていた。
「あっ、ありがとうございます」
慌てて礼を言う僕に、なんてことないというように微笑すると、そのひとは背を向けて真っ直ぐに歩いていった。
鮮やかなオレンジのコートの上に、長い髪が揺れている。人波に消えていく背中。
しまったと思ったときにはもう遅かったが、なんとなくまた会えるような気がした。なんせあの鮮やかなオレンジのコートはよく目立つ。きっと虹の麓を見つけるよりも簡単だ。
そのときにはなんて声をかけようかと考えながら歩く道のりは、七色には足りないがそれなりに色づいて見えた。