2018年02月19日 19時40分
ナナイロ 前編
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毎朝同じ時間に起きて、だいたい同じ朝食を食べて、恥ずかしくない程度に身なりを整えて、満員電車に揺られて出勤して、諸々のものをおし殺して働いて、疲れきったからだとこころを抱えて家路につく。
すっかり見慣れた毎日は色味を失い、まるでモノクロ映画のようだ。もう見飽きてしまって、ため息が出るくらいに退屈な。
劇的な変化なんて求めてやしないし、そんなものは夢物語だってちゃんとわかっている。だけどそんなものを求めなければ、やりきれない日もある。
例えば、朝から重たいニュースを見た日。いわれのない悪態をつかれた日。上司に無理難題を押し付けられた日。気紛れに立ち寄った恋人の家に、見覚えのない靴が並んでいた日。
毎日、今日は何事もなく過ごせますようにと祈っていても、なにかしらのことは起こる。その場ではそんなもんさと飲み込むけど、降り積もったそれは次第にこころを重たく、鈍くしていく。
こんなものに慣れていくことが、大人になるということなのか。子どものころに描いていた大人は、もっと力強く、溌剌として、迷うことなんてないと思っていたのに。自分の思うがままに世界を彩れる、不可能なんてない存在。
それがこんなモノクロの日々を辿るだけの存在だなんて、思ってもいなかった。
そういったことを友人に話したら、彼は賢しげな顔をしてこう言った。
「誰でもそんなもんだろ。いろんなものを我慢して、耐えて生きているんだ。余計なことばかり考えていないで、お前も早く結婚して子どもを作れ」
ぐうの音もでないほどの正論に、僕はビールをすするしかなかった。飲めたもんじゃないと思っていたこの苦さにも、もうすっかり慣れてしまった。
それから友人は妻や子どもとのこころあたたまる日々を語り、僕のこころをすっかり冷やしてくれた。それが思い描ける、誰もに当てはまる最上の幸福といった顔で語る彼に、ビールでもぶちまけられたらどれだけすっきりすることだろう。
その後、彼とは会っていない。どうせまた忘れたころに、どちらからともなく連絡をするに決まっている。
彼と僕はかつて、悠々と空にかかる虹の麓を探したことがあった。言い出しっぺは驚くべきことに、彼の方である。
あんなに夢も希望も持っていた彼なのに、今では牧歌的なしあわせ信者になり果ててしまった。それは決して悪いことではなく、むしろ友人ならば喜んで祝福すべきことなのに、どこかさみしい思いがして素直に祝福できない僕は、きっとろくでもない人間なのだろう。もしくはいい年して大人になりきれない、でき損ないのオトナモドキか。
話を戻そう。まだなんの疑いもなく、夢物語を信じていられた僕たちの話だ。
ふたりで息も絶え絶えになるまで自転車を飛ばしたが、けっきょく虹は夕闇に消えてしまい、僕たちは知らない景色のなかに取り残された。
すっかり日も落ちて、影絵のように浮かび上がる町。曲がり角の看板にすら怯えながらも、互いに憎まれ口を叩くことで、しぼみそうになるこころを励ましあって進んだ。
無事に帰れるのかという大きな不安もあったが、その一方で、不安と同じくらいに大きな期待も感じていた。出歩くことを許されなかった夜の町で、自分だけの特別なものと出会って、なにかが大きく変わるのではないかという、そんな漠然とした期待。
漫画やアニメだったらなにかがあったのかもしれないが、悲しいくらいになにもないのが現実である。
少し自転車を走らせると見慣れたコンビニが姿をあらわし、僕たちは安堵と失望を胸にそれぞれの家に帰ると、親からこってりと絞られた。
あの頃からだろうか。自分を取り巻く世界に、過度な期待を抱かなくなっていったのは。
みそ(鳩胸)
明るめのものにしようと思っていたんですけどね。無尽蔵に明るいものにしようとするのが、苦手なのかもしれません。
2018年02月19日 20時03分
みそ(鳩胸)
嬉しいお言葉ありがとうございます!そこまでほめられてしまうと照れますね。
昔から本ばかり読んできましたから、多少書けるのはたぶんそのおかげだと思います。私もすらすら言葉が出てくるなんてわけなくて、ものすごく考えて、いろいろ悩みながら書いています。
2018年02月19日 20時21分