みそ(鳩胸)の日記

2018年02月14日 20時05分

ままならないバレンタイン

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思えば私のバレンタインはろくなことがなかった。
男の兄弟しかいなかった私は、同年代の異性への接し方を知らずに育った。このことは少なからず、私のバレンタインの悲惨な成績に影響を与えていることだろう。
環境が人を作るとはよく言うが、異性の兄弟姉妹がいるものは、それがいないものに比べて、異性との対話を滑らかに行えているように思える。まあ、仮に私に姉妹がいたとしても、持ち前のシャイで硬派な気質が邪魔をして、今とあまり変わらない気はするが。

異性への興味や気恥ずかしさを覚える、小学生高学年のころ。照れ屋で見栄っ張りな私は、ろくに異性とコミュニケーションをとることができなかった。もっとも、それは今でもあまり変わらないが。
からかい半分に声をかけられることはあった。これに対して気の利いたユニークな受け答でもできていれば、多少は私の株も上がったかもしれないが、そんな器用な真似、私には到底できなかった。うへへと気持ちの悪い照れ笑いを返すのがせいぜいであった。

そんな持病により女子とコミュニケーションをとれない私には、自然の成り行きとして男ばかりが集まった。その中でも私は特にジャニ系イケメンの、シンヤ君と仲が良かった。
色白で線が細くサラサラヘアーな彼は、女子から絶大な人気を誇っていた。しかし彼は熱い視線を送る女子なんてなんのそので、ゲームや漫画などとインドアな趣味に没頭していた。
そのおかげで彼と私は気があったのだ。彼と私は学校ではだいたい一緒に行動していた。
放課後になっても毎日のように、彼の家へと遊びに行き一緒にゲーム三昧の日々を過ごしていた。彼は夕方くらいになるといつも「今日は何時ごろに帰っちゃうの」と聞いてきた。
帰るの、ではなく、帰っちゃうの、である。このフレーズの違いがもたらす意味は大きい。
帰るの、と聞かれたら気を遣って早めに帰ることも視野に入れて、少し寂しい思いをすることだろう。
しかしそれが、帰っちゃうの、となるとどうだろう。その言葉からは、私と過ごせる残り少ない時間を、名残惜しく思ってくれる彼の気持ちがひしひしと伝わってくる。
今ならそんな可愛いげのある言葉に、ずっとお前といるよ、と答えたくなるところであるが当時の私の感想は、なんかホモっぽい言い方だな、とにべもないものであった。

むさい話はこれくらいにして、色気のある話をしよう。
当時の私は女子のからかいの対象であったが、私はからかってくる女子のひとりに淡い想いを寄せていた。八重歯の笑顔が眩しいモモエちゃんである。
なぜそんな想いを抱くようになったかというと、答えはこれまた単純明快で、最初に私をからかってきたのがモモエちゃんだったからだ。
生まれたての雛鳥が初めて見たものを親だと思うように、初めて事務的な用事以外で私に声をかけてきてくれた、モモエちゃんを好きになったわけである。
当時の私はなぜか筋肉という言葉を異常に気に入っており、やたらと筋肉筋肉と連呼していた。筋肉とは無縁なややぽっちゃり体型だったくせに、よくわからない子どもである。
そんな私にある日モモエちゃんが「おはよう、キンニ君」と声をかけてきた。これだけで男100%の環境の中で硬派に育ってきた私は、恋に落ちた。ついでにキンニ君という、私にはおよそ不釣り合いなあだ名も定着した。
それを期にモモエちゃんはたびたび「今日の筋肉の調子はどう」などと私をからかってくるようになった。もじもじと薄ら笑いを浮かべる私を見て、シンヤ君は実に楽しそうに笑っていた。

そんな日々のなか男児たるものそわそわせずにはいられない、一大イベントがやってきた。泣く子も黙るバレンタインである。
例年はただ漠然とした期体感を抱き、そわそわと過ごすだけであったがその年は違った。そう、モモエちゃんの存在である。
モモエちゃんとはいちおう毎日話して(?)いるし、ひょっとしたら…!
そう思い、さりげなくモモエちゃんの様子を伺いながら過ごしたがその日、学校でモモエちゃんが私に接してくることはなかった。
いや、まだだ、まだ放課後になにかあるかも…!
帰りの会が終わり、私にかけられたお誘いは、友人の一緒に帰ろうぜというものだけだった。あれ、そういえば珍しくシンヤ君から誘われなかったな、と思いつつも私は大人しく友人と帰路についた。

「なあ、お前チョコもらえた?」
友人のこころない問いかけに、私は黙って両腕を交差させてばってんを作った。やっぱりなあと頷く友人に、そう思うならなぜ聞いたのだろう、と苛立ったが続く言葉にそんなものはぶっ飛んだ。
「シンヤのやつ、モモエちゃんからチョコ貰ったくせに振ったらしいぜ」
開いた口がふさがらないという言葉を、そのとき私は身をもって実感した。阿呆のようにぽかんと大口を開けた私は、その一方でそうかと理解していた。
そうか、モモエちゃんは私の気を引こうとしていたのではなくて、私を通じて、私といつも一緒にいたシンヤ君の気を引こうとしていたのだな。
思い返すとたびたび、モモエちゃんの視線は私から離れて明後日の方を向いていたが、あれはシンヤ君を探して見つめていたのだ。
それを理解した私の胸にはほろ苦い思いが広がった。ほろ苦い思いに浸りたいところではあったが、ふとある可能性が浮かんできた。
ひょっとしたらシンヤ君は、私がモモエちゃんに想いを寄せているのに気がついており、それでモモエちゃんを振ったのではないか。
その可能性を思うと、さらに苦い思いが私の胸を満たしていった。誰が悪いわけでもない。ないからこそ、やり場のない思いを持て余した。

みそ(鳩胸)

にゃんさん
苦いバレンタインもあるものです。

2018年02月14日 20時18分

みそ(鳩胸)

人さん
その手のものを書き出したら、いろいろと引き返せない気がします。

2018年02月14日 20時19分

みそ(鳩胸)

苦く切ない、大人の味。

2018年02月14日 21時30分