2018年02月03日 19時37分
冬雨 後編
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ぶしつけな視線に気がつくことなく、君はおそるおそる足を踏み出した。処女雪はさくりと軽やかな音を立てて、君は小さく微笑んだ。
一歩二歩と進むうちに気をよくしたのだろう、君は踊るような足取りになり無数の足跡を刻んだ。なんの変哲もない通りなのに、君がきらきらと雪を舞い散らすと、華やかなステージに変わった。
僕が息を飲む音が聞こえたわけではないだろうが、君はじっと見つめる僕に気がついて、
「あっ!」
と声をあげ、つるりとバランスを崩した。
間一髪のところで手を伸ばして支えると、驚くほど軽くて、僕だけに見える幻なのかと疑った。幻でもなんでもない君は、僕の腕の中で照れたようにはにかんだ。
「雪のないところにいたから、雪が珍しくて、つい」
初めて聞いた君の声は、これまで聴いたどんな音楽よりもうつくしく、僕のこころを揺り動かした。
それから僕たちはお互いについて多くのことを語り合い、同じ夜をともにするようになった。
君の中にどうしようもないくらいに想う人がいて、こころはここにないとわかっていても。それは僕にしても同じことで、忘れ得ぬひとがこころの中にいた。
僕たちは求めあうことで、なにをしても決して埋めることができない空白を、埋めようとしていた。さみしさとか、むなしさとか、切なさとか、あえて言葉にすればそういう類いのものを。
君と抱き合うほんの一瞬は、その空白が満たされる。それでも、雪が溶けるようにすぐにまた、元の空白に戻ってしまう。そしてその空白は君と夜を重ねる度に、より大きな空白へと広がっていった。
君の空白も僕と同じように広がったが、それでも僕たちは求めあった。そうしないと、いつか空白に飲み込まれてしまうような気がしたから。
雨が降ると君はいつも、ただ静かに空を眺めた。その空の向こうに想う人がいるかのように、いつまでもずっと。
僕が近づき、抱き締めると、君は涙を流した。
「ごめんなさい」
それがなにに対しての言葉なのか知るよしもなかったが、僕は君にそんな言葉を使ってほしくなかった。僕の手を濡らした涙は、悲しいくらいにあたたかくて、苦しくなった。
冬の雨はきっと、君を遠くへと誘うのだろう。冷たい雨に濡れる君に差し出せる傘を、僕は持っていなかった。