2017年10月06日 22時24分
発酵探偵ミソーン file10
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正体不明のこいつはオタクサと不思議な響きの名を名乗っているが、おそらくは偽名だろう。俺と同じく越後屋を追っているようで、越後屋絡みの事件となると霧のようにどこからともなく湧いて出やがる。
こいつに対してわかっていることは、とにかくナイスバディってことだけだ。
「こんなところで会うとは、ひょっとしてお前さんもたらふく亭を探っているのかい?」
「ええ、そうよ。奇遇ねミソーン」
妖しげに微笑むオタクサ。こいつが探っているのなら、たらふく亭は越後屋と深い結び付きがあるのかもな。
「ねえねえ、たらふく亭について調べているのなら教えてくれない、オタクサ。私たちまだ調べ始めたばかりでさっぱりなの」
おかみを調べられなかった失態を埋めるためか、あずきが珍しくやる気を見せている。あずきが上手く情報を聞き出してくれることに期待しよう。
「あら、子猫ちゃん。人にものを頼むときには、それなりの態度があるんじゃないの?」
「ミソーン、言われてるわよ」
わずか五秒足らずで期待は裏切られた。
猫というのはおそろしくプライドが高い生き物で、人に頭を下げて頼むなんてことはまずしないからな。しかしこれだけあっさり丸投げされると清々しいね、まったく。
中折れ帽をあずきに被せ、膝と両手を地面につく。「ちょっと」と抗議されるが気になどしない。これもお前の尻拭いだ。
「あらあら」とご機嫌そうなオタクサの声が上から降ってくる。
「お願いします、オタクサ様。無知な私たちにどうか、貴重な情報をお教えください!」
一気に言うと、勢いよく額も地面にこすりつけた。これぞ人にものを頼むときの極致、土下座だ。先代は夜のお店で遊んだ後はこれで乗り切っていたという、紳士の最終兵器。
「えっ、そこまでするの…」
俺に丸投げしたくせに、情けないと言わんばかりのあずき。プライドで情報が手に入るのなら安いものさ。
「素敵よミソーン。久しぶりにいい土下座を見せてもらったわ」
顔を上げると恍惚とした表情でオタクサが俺を見下していた。鞭でも持たせたら立派な女王様になれそうだな。
俺の土下座にみあうほどの情報はもらえるのかねえ。
ミソーンの華麗なる土下座と時を同じくして、たらふく亭の店長室では二人の男がソファーに腰かけて対峙していた。
ごますりをしながら、相手のご機嫌を伺っているのはたらふく亭の店長ニク=タベオだった。
「これが、今月分となります。お納めください」
ニクの手からアタッシュケースが差し出される。男は無言で受け取ると中身も確認せずに立ち上がった。普段、受け取りに来ているへらへらとした男なら、念入りに札束を数えるというのに。
「あ、あの…」
中身を確認しなくてよろしいのですか、と続けようとしたが男の射るような視線を受けて、ニクは言葉を飲み込んだ。
左目の下に、真一文字の傷を負った男。ニクはこの男と会うのは二度目であったが、刺すような雰囲気を全身にまとったこの男が苦手であった。
男はニクの言葉など聞こえなかったかのように扉を開け出ていこうとしたが、唐突に振り向いた。
「おい」
「は、はいぃっ」
まさか自分に声をかけられるとは思っていなかったニクは、情けなく裏返った声をあげた。
「中折れ帽を被った男が来ていたが、奴はよくこの店に来るのか? 」
「さ、さぁ、私は初めて見ましたが。気になるのなら、店のやつに聞いてみましょうか?」
「いや、いい」
礼も言わずに男はすっと部屋から出ていった。男が作り出す張り詰めた空気から解放されたニクは、思わず大きく息をついた。