みそ(鳩胸)の日記

2017年09月30日 22時17分

発酵探偵ミソーン 総集編 前編

タグ: 発酵探偵

俺の名はミソーン。顔だけは一流な、しがない場末の探偵さ。人からは発酵探偵なんて呼ばれている。得意分野は浮気調査。他人の不幸が飯の種ってわけだ。
そして今日もまた、浮気調査のご依頼が舞い込んできた。まったく、こんなにお客さんが来るなんて、近頃の倫理観は素晴らしいね。

依頼主の名前はホン=ミリーン。24歳の地味で大人しそうなレディだ。けれどこういうタイプに限って夜は意外と…おっと、今それは関係ないな。書店員だと言われて妙に納得しちまった。
調査対象は彼女の夫であるカツオ=ダーシ、29歳。半年前にオープンした熟成焼肉店『たらふく亭』の店員だという。写真を見せてもらったが、これがまたなかなか派手なヤツで、いかにも女遊びが好きそうな見た目をしていやがる。ちゃらちゃらとしたピアスやネックレスが眩しいくらいだぜ。

ホンとカツオは結婚してまだ3ヶ月で、こじんまりとしたアパートを借りて暮らしている。3ヶ月ならまだまだ甘々な新婚生活を営んでいそうなもんだが、ところがどっこい。
最近カツオの帰りが遅くなり、時には朝帰りもするらしい。仕事が忙しいんだ、というありふれた言い訳を信じるほどホンもうぶではない。
カツオがシャワーを浴びている間に、こっそりと奴のスマホを見たらあら大変。職場の女将とのあやしげなやりとりが満載だったらしい。
女将はもう50に近い年齢だというから、本当に関係があるとしたらカツオのストライクゾーンはかなりの広さだ。

「つまりカツオは女将の熟成された色気に惹かれて、肉欲の炎にその身を焦がしちまったかもしれないわけだ」
ホンが帰ったあとの探偵事務所。俺の愛猫にして相棒である、黒猫のあずきに上手いことを言うもそっぽを向かれちまった。
「なに詩的に言ってるのよ。単なる浮気で、私たちはその現場を写真に撮って押さえないといけない。つまりはいつもどおりじゃないの」
こいつは猫のくせによく喋るし、なかなかのリアリストだ。猫ってもんはだいたい夢の中にいるもんじゃないのかね。
「そうだけどよ、日常にちょっとはロマンがあってもいいじゃねえか」
「浮気のなにがロマンだ。そんなものより、早く私のご飯をいいものにしてよ。もう3個で500円の猫缶は食べ飽きたわ」
ワンランクアップしろと威嚇してくる。なんとも食い意地のはったお猫様だ。
「へいへい、それじゃあ美味しいご飯のために働きましょうか。あずきは女将の方をあたってみてくれ」
あずきは喋りさえしなければ、気品のある優雅な黒猫に見える。優雅な黒猫が寄ってきて悪い気がする人はまずいない。
それにどこにいてもあまり怪しまれない。猫は気紛れにお散歩するもんだ。猫ほど調査に向いている生き物はまずいないだろう。
「それはいいけど、ミソーンはどうするの?」
「俺は男の方をあたってみる。奴が勤務するたらふく亭に調査に行かねえとな」
たらふく亭はお肉はもちろん、えもいわれぬ芳醇な香りがしてどんな食べ物ともあう、という味噌ダレが評判の店だ。
えもいわれぬ芳醇な香り、ひょっとしたらアレが使われているのかもしれない。いずれは調査しなければ、と思っていた店だからこれは渡りに船だ。いや、一石二鳥か。まあどちらでもいい。
「ずるい、そう言って熟成肉をたらふく食べてくるつもりでしょう!たらふく亭だけに!」
「まさか、調査だよ、調査。客として近づくのが一番手っ取り早い」
「もう、お土産忘れないでよね!」
あずきは尻尾を大きくふりふりとし、不貞腐れたように猫用の出入口から出ていった。焼肉店に猫が食べられるお土産なんて売っているのかねえ。

ミソーン探偵事務所がある昔ながらの麹通りは街の南東に位置している。噂のたらふく亭は街の東、つまり事務所から見て北の方角にあたる。
東エリアは越後屋という胡散臭い組織を中心に再開発が進んで、古き良きネオンサインの面影は夏の夜の幻のように消え去っちまっていた。
健全な若者が連れだって闊歩するようなところではなかったんだがなあ。金平糖通りなんていうお洒落なのか、ダサいのかよくわからん名前までつけられている。
かつて東エリアの象徴的な建物だった、いかがわしいショーを催していた大舞台があったところには、健全なショッピングモールと映画館。営業許可なんてどこ吹く風な屋台が堂々と立ち並んでいたところには、気取った服屋やコジャレた飲食店が建ち並ぶ。
まったく、すっかり若者向けのキラキラした街になっちまっている。俺はもっとギラギラとした街並みが好みなんだがねえ。

俺が若かりし頃の東エリアは小汚いクラブや場末の飲み屋、なにを扱っているのかもよくわからん古臭い店が建ち並び、夜にはもんもんと妖しげな光を放っていた。
まともな奴はあまり近寄らず、ひねくれもんのお天道さんの光を浴びるのが苦手な奴等が集まる吹きだまりのような場所。それがかつての東エリアだった。
あらゆるものを妬んで羨んでいた俺にとっては、最低なくらいに居心地のいい場所だった。

最高にキラキラとした今の街並みが眩しくて思わず中折れ帽を目深にかぶり、薄暗く湿っぽい裏路地に滑り込む。たらふく亭の開店時間はまだ先だし、少しくらいぶらぶらしてもバチは当たらないはずだ。
まだ再開発の魔の手が伸びていない薄汚れた路地裏には、今にも外れそうな看板に、我が物顔でゴミを漁る野良猫が出迎えてくれた。
やけに鋭い目つきをした猫は俺のことをちらりと見たが、すぐに興味を無くしたようにお宝探しに戻った。まったく、たまらないふてぶてしさだな。野良はこうでなけりゃ。
何かに挑戦するかのように、壁際にうず高くつまれた瓶ケースにわけもなく安堵した。ここはまだ俺が入り浸っていた頃のうらぶれた東エリアだな。
記憶を頼りに裏路地を歩くと今にも潰れそうなくせに、なかなか潰れないしぶとい飲み屋がまだ生き残っていた。昔のまんまさびれた姿に思わず笑っちまう。甘露庵という名前にふさわしく、旨い酒と料理を出すにくい店。
忘れもしない、俺が先代のミソーンに拾われたのはこの店だ。

親も頼れる親類もいなかった俺は施設で育った。これがまたろくでもないとこでやけに偉ぶった職員が日夜、子供達を怒鳴り散らし教育と称して殴る蹴るなんてのもしょっちゅうだった。
ある程度、図体がでかくなりそれなりの分別もついてきたころ、俺は二人の仲間と共に施設を脱出した。
そのまま施設にいても、いずれは添加物工場なるところで一生奴隷のように働かされる、と風の噂に聞いていたからだ。施設と同じで最低限の生活は保証はされるのだろうが、そんなもんは生きながらにして死んでいるようなものだ。
脱出の過程で仲間たちとははぐれちまったがあいつらなら大丈夫だろう。やたらと器用で抜け目のないやつらだ。きっとうまくやっているさ。

野良犬よりも薄汚れた俺は空腹にギラついた目をして夜の街をさ迷った。空腹が限界を迎えそうになったとき、控え目な灯りの今にも潰れそうな店が目に飛び込んできた。
やけにうまそうなにおいが漂ってくるその店に、俺は思わず飛び込んだ。そこが甘露庵だったのは幸いだったな。まともな店なら叩き出されていただろう。
その身一つで施設を抜け出し一文無しだった俺はとにかく飢えていて、暴力に頼ってでも何かを口にしたかった。まったく、空腹ほどこわいもんはないね。
飢えに任せて飛び込んだ店内は外観に負けず劣らず古くさかったが、不思議と清潔感は保たれていた。
カウンターの奥にはマスターが、そしてマスターの前の席には気取った中折れ帽を被った紳士が座っていた。この紳士が仁義や探偵のいろはを俺に教えてくれた男、先代のミソーンだ。

マスターは今にも飛びかかってきそうな俺を警戒して身構えたが、先代は面白そうにニヤリと笑って手招きしてきた。
「若いの、今どきそんな眼をした奴は珍しい。どうだ、なんか食って話しでもせんか。この店の料理はどれも絶品だぞ。マスターはちょっと頑固で口うるさいがな」
「頑固で口うるさいは余計だ。大丈夫なのかミソーン、こんなのを店にあげて」
ぼろ雑巾みたいなものを身にまとい、ガリガリに痩せ細った俺はこんなの呼ばわりされても仕方がなかった。どう見ても客とは思えないわな。
「なあに、大丈夫さ。マスターの美味い料理で腹一杯にしてやれば、落ち着いて話をできるようになる。ほれ若いの、そんなとこに突っ立ってないで座りな」
でもよおと渋るマスターを無視して先代は隣の椅子をがらりと引くと、ぽんぽんと叩いて俺に座るように促した。
俺は先代の飄々とした態度に毒気を抜かれ、借りてきた猫のように大人しく椅子に座った。

先代ミソーンは俺のなにを気に入ったのかよくわからないが、助手として俺を雇ってくれた。さらにどこの馬の骨かも知れない俺を探偵事務所に住まわせてくれた。
先代がいなかったら俺はろくでもないことをしでかして、野良犬の餌にでもなり果てていたことだろう。まったく、先代にはいくら感謝してもし足りないぜ。

みそ(鳩胸)

イマジネーションが爆発していますね!

2017年09月30日 22時19分

みそ(鳩胸)

人さん
本当に読んでくださるとは、ありがとうございます!

2017年10月01日 08時08分