2017年09月29日 22時00分
味噌太郎 後編
タグ: 味噌太郎
ああ、私はもうだめかもしれない。この新種の変態がなにをするつもりかさっぱりわからないけれど、ろくなことじゃないに決まっている。
せめておじいさんにもう一度あの日のように、愛しているとささやいて、たくましいあの胸に抱いて欲しかったわ。熱く、激しく!
今際の際であると覚悟したそのとき、おばあさんの中に眠っていた女が目覚めたようでした。
「やあ、これは失礼いたしました。立てますかな、ご婦人」
ところが変態は、その格好とは裏腹に紳士的な言葉とスマートな所作で、おばあさんにすっと手を差し伸べてきました。
あまりのギャップに呆然としながらもおばあさんが手をとると、変態は優しく立ち上がらせてくれました。変態のくせに何か香水でもつけているのでしょうか、ふわりとすみれのような香りが漂いました。
「私は味噌太郎というものです。なにやら、くる日もくる日もこの川辺で泣いているご婦人がいらっしゃる、という噂を聞きつけましてね。あなたの涙で新しい川ができてしまう前にお会いせねば、と思い駆けつけてきたのです」
自信に満ちた顔で、変態こと味噌太郎はおばあさんを見つめました。うまいことを言ったつもりなのでしょう。
「そうでしたか。あの、なぜ私が泣いているのか聞いていただけますか、変態太郎さん」
「ええ、もちろんです。ですが私の名前は変態太郎ではなく味噌太郎ですよ、ご婦人。私にはいかなる変態要素もないでしょう」
一晩じっくり考えてきた台詞をスルーされてもまったく動じない味噌太郎。彼のメンタルは大豆の如しです。
「ありがとうございます、変態太郎さん!」
聞く耳もたずなおばあさんに味噌太郎は、アメリカのホームドラマのように大袈裟にやれやれと肩を竦めてみせました。それっぽい顔まで作って、少しだけ殴りたくなります。
おばあさんの語りに「なるほどぉ!」とか「なんとぉ!」とか、味噌太郎はやたらとうるさい相づちを打っていました。語りよりもうるさい相づちはとてもよろしくありません。
常人ならば話す気を大いに削がれるところですが、そこはかつて『馬耳東風のかよ子』と関東平野に名を馳せたおばあさん。尋常じゃない味噌太郎の相づちなど、どこ吹く風で日ごろの鬱憤までたっぷりと話せて満足そうです。
「お話を聞いてくださりありがとうございました、変態太郎さん。おかげさまで久しぶりにこころがすっきりしました」
「それはなによりです。はるばる川を下ってやって来たかいがあったというものです。もっとも、かいは持たずに下ってきましたがね」
味噌太郎はまたもや自信に満ちた顔でおばあさんを見つめました。満足感の意味のかいと、船をこぐかいをかけたのでしょう。びっくりするくらい下らないだじゃれです。
「そうでしたか。それでは、私はこれで失礼いたします。変態太郎さんも気をつけてお帰りください」
馬耳東風のかよ子はまだまだ現役のようですね。
「ややっ、ご婦人。そちらは川の向こう、つまりは離れの方角ではありませんか。お屋敷とは逆方向ですぞ」
「ええ、それが何か?」
「よいのですか、おじいさんは離れで若い娘とあんなことやこんなことを、はたまたそんなことまで繰り広げているのでは。羨ましいぞ、ちくしょう!」
味噌太郎も強がってはいますが、男の子です。あんなことやそんなことをいたしたくてたまりません。
「ええ、挑むところです。私が長年つちかってきたこの妙技で、おじいさんを再び振り向かせてみせます」
獰猛な肉食獣のように笑うおばあさんの指、その一本一本がまるでそれぞれ独立した生き物のようにしなやかに、そして艶やかに躍りだしました。
「あ、あの目でも追いきれない指さばきは…!間違いない、おばあさんはあの伝説の『躍り指のかよ子』だったのか!」
躍り指のかよ子。かつて企てられていた大規模な一揆を、その10本の指だけで止めたという逸話を知らぬものはおりません。
「その名で呼ばれたのは何年ぶりかねえ。ついてきな、坊主。桃源郷ってやつをみせてやるよ」
匂い立つバラのように妖艶に笑うおばあさんのその横顔は、ただの干からびた老人ではなく、在りし日の躍り指のかよ子そのものでした。
こうして躍り指のかよ子は復活を果たし、おじいさんをもののみこすり半で果てさせてその身も心も鷲掴みにしたのでした。
えっ、味噌太郎というタイトルなのに桃太郎のように鬼退治しなくていいのかって?
野暮なことをお聞きになりますね。味噌太郎は立派に鬼を退治しましたよ。
そう、おばあさんの中に巣食っていた、嫉妬という名の鬼を、ね。
みそ(鳩胸)
ありがとうございます!おばあさんにもいろいろとあったのですね。
2017年09月29日 23時12分