2017年09月18日 22時00分
発酵探偵ミソーン file4
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先代ミソーンは俺のなにを気に入ったのかよくわからないが、助手として俺を雇ってくれた。しかも探偵事務所に住み込む許可までくれた。最初の頃は、美味い話にはなにか裏があるのではないか、と疑ったが先代のことを知るうちにそれは杞憂だったとわかった。
「いつの世も人を動かすのは仁義だ。捨てられた猫みたいだったお前さんを放っておくのは俺の仁義に反した。だから助けた。まあ、こんな貧乏事務所に拾っておいて助けた、なんて言うのはちとおこがましいか」
先代はうははと豪快に笑った。鍛え抜かれた刃のように整った顔立ちをした人だったが、笑うと途端にいたずらっ子みたいな愛嬌が出てくる。先代が笑うと俺まで釣られて笑っちまって、それを見た先代は満足そうに頷いていたっけか。
まったく、煮ても焼いても食えない爺さんってのはあいつのことだな。それから俺はあの日までの何年かを先代とともに過ごし、なんとか探偵として一人立ちできるまでになった。
「お前もだいぶ煮ても焼いても食えなさそうになってきたな」
マスターがにやにやとしながらぷかりと煙草をふかした。店の中もマスターも昔から変わっていねえな。いや、カウンター越しに見える白髪は増えたか。
「まさか、俺なんてまだまだひよっこもいいとこだよ。先代には遠く及ばないさ」
「そりゃそうだ。お前と先代とでは重ねてきた経験がまるで違うからな」
まったく、遠慮なく言ってくれるねえ。
「しかしその獲物を狙う猫のように鋭い目は先代にそっくりだな。なんの情報を求めてきたんだ?」
マスターは一流の場末の居酒屋のマスターというだけでなく、一流の情報屋でもある。いつの間にか頑固なマスターの顔から、街の裏を知り尽くす情報屋としてのどこか影のある顔つきになっていた。
その情報源はマスターの唯一の親友であった先代でさえも知らず、墓の下まで持っていくつもりらしい。まったく、俺に教えてくれりゃあ探偵なんていうヤクザな仕事をしなくてすむってのにねえ。
「さすが、よくわかっていらっしゃる」
「世辞はいい。わざわざワシのところにまで来たんだ、先代に関係することなんだろう」
はよ言えと厳しい目を向けられる。
「半年前にオープンした、たらふく亭っていう焼き肉屋はわかるかい?」
「ああ、憎い商売敵だな」
かけらも思ってないくせにぬけぬけと言いやがる。この店なんてだいたい常連しか来ないだろうに。
「あの店、ひょっとしたら越後屋と関係があるんじゃないかと思ってな。なにか掴んでいやしないかい?」
マスターの表情が消えて、寒くもないのに震えが走るような気配が伝わってきた。おっと、こいつは当たりかな。
「お前、まだ越後屋のことを追っていたのか。先代はお前に、越後屋とは関わるな、と言い残したはずだぞ」
虎の唸りにも似た低く響く声に怖じ気づきそうになるが、ここで引いては男が廃るってもんだ。
「受けた依頼の都合上、たらふく亭に潜入しなければならなくなったもんでな。もしも越後屋が絡んでいるなら、用心にこしたことはないだろ」
「どうせいつもの浮気調査だろ。それなら店に潜入しなくてもできる。違うか?」
やっぱりそう言われるか。あずきと違ってマスターは甘くないな。
「ああ、確かにそうだよ。だけどもだ。俺は越後屋に繋がる糸があるなら、どうしてもそれを辿らなければならない。たとえ先代の言いつけを破ることになっても、だ。それが俺の先代に対する仁義なんだよ」
眼力だけで人を殺せそうなほど尖ったマスターの視線をなんとか受けとめる。マスターが大きく息を吸い込みいよいよ爆発するかと身構えたが、盛大にため息をついただけで拍子抜けしちまった。
「まったく、お前ら師弟はなんでこうも似てくるんだか。1つだけ聞かせろ。お前は復讐のために越後屋を追うのか?」
「それもあるが、それ以上に越後屋を放っておけない。奴らのせいで不幸になる人たちをもう見たくねえんだ」
マスターはそうかと呟くと静かに頷いて、壁に掛けられた写真を見た。それは若かりし頃のマスターに先代、そして先代の奥さんが写った写真だった。
紫陽花のように華やかで優しげな微笑みを浮かべる女性。越後屋の手にかかり、紫陽花は儚く散ってしまった。