インタビュー

私はネコを3匹飼っています。 疲れて家に帰ったときも、ネコが無邪気に遊んでいるのを見ると心が癒されます。 もし天使がいるとしたら、きっとネコの姿をしているに違いありません。 人間はどうでしょうか? ちょっとした遊びでも勝ち負けにこだわり、自分の利益だけを考えて相手を陥れます。 一体、いつになったら人類は戦争をやめることができるのでしょうか?

 おネコ様の無邪気さは異常である!
かつて、古代エジプトにおいても「バステト」という名を冠して、多神教の神として君臨しておったほどである!
しかも、どうも昨今は「おネコ様的生き方」が水面下で、主流へと変わろうとしているようにも思われる。(蛇足)

 ところで、まず、天使の定義についてなのだが、余の観点からすれば、天使と悪魔は(実は)互いに補完しあい、
片方がなくては、成り立たぬ存在であろうと考えておる。
《天使》という概念自体が、二元論的世界観(即ち一神教的発想)からきたものだからである。

東洋の概念で例えるならば、陰陽図がわかりやすかろうと思うのである。
「陰極まれば陽となり、陽極まれば陰となす」のであろう。
【参考画像】
http://www.hanachi.com/shop/hanachi/philosophy/yinyang.files/image003.gif
禅で言えば、「暗中に明有り」となるか。

勝ち負けの次元でウロチョロしておるのは、まだ人間が幼年期だからであろう。
それも、西暦1000年代を超えてから潮流は変わりつつはあるが・・・

とはいえ、これは「時間が解決してくれるYo☆キャハ☆」などという、
直線的な時間間隔のヴァカの思考では解決できない。
加えて、そのようなものが現実的解決に乗り出すとも思えない。
(今、この瞬間にも平和をもたらすために動いているものが気づかれないながらも必ず一定数いるはずなのだ。
余は少なからずその者たちの一部を知っている・・・)
《いつ戦争がやむか》というのも、もし仮に余が知っていたとしても、発言した時点でその未来は歪むであろう
という流れが見える。
以上の意味も含めて、回答は《わからない》ということになってしまうのは心苦しいところだ。

こういった疑問を余にしてくるということは、
《常々人間の闇/汚さの部分に対して、虚しさを感じることが心の中にある》
ということではないかと思われる。

インタビューを投げた貴方が読んでいれば一つ申し上げたいのは、
「今の人間に期待するのはおやめなさい。」
ということである。
もし、仮に何かか誰かに《貴方》を侵略されているならば、敢然と拒否し、闘うべきだと余は考えます。

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