みかミントの日記

2021年03月11日 09時54分

3.11.2011

新宿の古い高層ビル40階で働いていた。

古い耐震構造のビルはちょっとの地震でも大きく揺れるようにできていて、地上では気付かないような揺れでもスライド棚やブラインドがガシャガシャ揺れるのは日常茶飯事。
私のいたフロアは女性ばかり100人ぐらいいて、地震が来るたびに「キャッ!地震!!」と誰かしら軽く悲鳴をあげるのも日常茶飯事だった。

あの日もいつもと同じだと思っていた。
「キャッ!地震!!」
と、誰かがまた悲鳴をあげた時、ガシャンガシャンと音を立ててた棚やブラインドがガチャーン!ガチャーン!!と暴れだし、私達は誰に言われるでもなくすぐさまデスクの下へ潜った。

どんどん揺れが激しくなるビル。

デスクの下で四つん這いになり必死に床のカーペットに爪を立てた。

ビルから振り落とされると思ったから。

古い耐震構造のビルは大きく揺れる事により倒壊を防ぐ。このビルはバンブー構造でできていて…と入社初日のオリエンテーション最初がビルについての説明だった。

最初に揺れ出してからおさまるまで何十分かかったんだろう?
揺れるようにできているビルはずーっと揺れっぱなし。
揺れは増幅して大きくなる。
壁も窓もあるのに振り落とされそうな感覚。
遊園地のフライングパイレーツに乗ってるようだった。
お昼で退勤した人が外から見たら、まるでコンニャクのようだったと言っていた。

当時はスマホを持ってる人もまだおらず、テレビもラジオもフロアに無い。携帯も通じない。
窓の外を見ると黒い煙と真っ赤に燃える街並みが見えた。

呆然としてると火災警報が鳴った。

地上40階逃げ場は無い。

遺書を書きはじめた人が出始めた。

デスクの電話が鳴り始める。

あちこちで怒鳴り声が聞こえる。

私はこんな時55Vがいてくれたら…と頭の中でOPを歌ってた。

しばらくすると火災報知器の誤報というアナウンスが入った。
外の煙や火事は、煙はお台場の火事は千葉のコンビナートと分かった。
電話は地震被害がない西日本方面からで、業務が止まってるからと問い合わせと、そんな事今言われたって!と電話に出た人がパニクってまともに話せない声だった。

私達はみんなこのビルのこのフロアで安全が確保されるまで待機してるように言われる。
少なくとも翌朝まで。

耐震構造のビルは安全かもしれない。
しかし、ずーっと揺れ続けているビルにいるのは御免だ。
足元が常に不安定なのは恐怖だった。

私は無理を言ってビルから出させてもらう事に。
同じような人や帰らなければいけない人たちと一緒に非常階段でビルから降りる。
フロアは特に問題無さそうだったのに、非常階段は違って所々大きく壁が剥がれ落ちてたり階段が歪んでいた。
それを見た私達はまた恐怖に包まれた。
階段降りてる最中に揺れたら崩れる…。
1階降りる毎に合流する人が増えていく。

途中…20階ぐらいかな?その辺りから合流する人たちの表情が変わってきた。
笑顔で「凄かったね!」「怖かったね!」と余裕がある。
非常階段も壊れてる様子はなく綺麗だった。

その日スポーツジムに行く予定だった私は運動靴をパンプスだった同僚に貸し、新宿から道が分かる江古田まで歩いた。