白紙の日記

2019年03月16日 03時17分

自己肯定感と無償の愛

久しぶりにテレビをつけてみるとポケモンがやっていたので暫く観てみると昔のキャラが今も出てたりして。
敵役のコジロウ、ポケモンに好かれてて凄い羨ましかった。

私は仕事を辞め、精神を病み、真面目に働いている友人の近況など聞くうちに自己肯定感を失った。

或いはもとよりそのようなもモノは持ち合わせていなかったのかもしれない。

学生時代は他人より少し勉強ができ、社会人では比較的大手の会社に入社できたことが自信であったが、

時は去り、職も失った今はもはや自信はあっけなく散った。


自信や自己肯定感というのは親や家族から与えられる無償の愛から培われるものだと思う。

何も無くても自分は愛されてるという実感
自分は必要な存在だと自身を認める自信


毎日何かしら怒られ、好きなことを否定され
物心ついた頃には年頃の子供のように親に褒められたいというような思考回路ははじめからなかった。
いかに親の目につかず、怒られないかばかり考えた。

逃げることばかり考え、自分を大切にする方法を得ることができず
優しさや愛に鈍感になった。

こうした悩みを誰かに相談すると「家族も貴方を思ってのことだ」と言われることで

自分の自尊心を傷つけ続けてきた家族も自分に愛があるからこその行動だという矛盾したような事象に

その愛を受け取れない自分が間違っているような気がしてまた自己肯定感が下がる。


またこうして日記を書き、頭を整理して思ったのは
そんな思いやりのない愛情などいらないのだ。

思いやりのない愛情は、悪意をもった攻撃よりタチが悪い。単純に恨むことがはばかられるからだ。

そう思うからこそ人でなく、ポケモンの純粋な愛情表現に心打たれ羨ましさを感じたのだろう。

子供の頃もっと大切にされたかったと思う。
今の心では純粋に愛を感じれない。