maffyの日記

2018年02月04日 02時14分

懐かしい記憶(こんなに長くなるとは思わなかった)

寝れなくて、サマーウォーズ見て大泣きする私。

季節感ゼロだけど、たまに無性に見たくなるし、おばあちゃん子だった私はおばあちゃんが亡くなってから2日ぐらいボーとし、ご飯もまともに食べなかった記憶がある。

現実見たくなくて、おばあちゃんに背を向けて部屋の隅で泣いてた。
亡くなった次の日(前日の夜)は兄は中学、弟は保育園、私だけ大泣きして、手がつけられなくて小学校休んだ。

死因は大腸がんだったと、のちのちに聞くことが出来た。
だけどその当時(小学5年生)は、ガンだってことも知らないし、ただ風邪を引いてこじらせたからと言い聞かせられてた。
だから絶対治るんだ、って思ってた。
毎日病院に行った、本当に毎日。
面会時間ギリギリまで、病室でずっとおばあちゃんと話した。
だけど、これだけは記憶から消えないの。
大部屋にいた時に、面会時間終わって、帰るねってなった時におばあちゃんが私の腕を掴んだ。
「行かないで、寂しい」
って。
…どうしようなんて、悩んだけど「また明日来るから、ね?」って言うしかなかった。

それから個室になり、おばあちゃんは一時帰宅した。
一時帰宅の記念パーティーもした、従兄弟達もみんな集まった。
その時は本当にもうすぐ治るんだ、あとちょっとなんだ!って凄く嬉しかった。

でも…そのすぐ後に亡くなった。
あとから聞いた話だと、おばあちゃんの願いだったらしい。
おばあちゃんの家で、みんなでご飯食べたいってことが。

亡くなった日の夜、私が寝る直前まで生きてた、あと10分寝ずにいたら、おばあちゃんに最後の挨拶出来たかもしれない。
出来なかった。
朝、自室からリビングに行く階段を降りている時、母方の祖母の声がした。
階段の途中からリビングが見え、母と祖母と弟がいた。
母が私の姿に気付くと涙声で「おばあちゃん、死んじゃった」って言われた。

頭の中でリピートして、すぐに自室にかけ戻って、ベットの中で大泣きした。
祖母がゆっくり来て
「人はいつかは逝ってしまう、でもそんなに悲しんでいたら、おばあちゃんが悲しくなっちゃうよ」って言われた。

そこからは適当に着替えて(着替えさせられて?)、母は弟を保育園に送り、私だけをおばあちゃん家に連れていった。

そこには父と、父の姉(おばさん)がいた。
おばあちゃんの姿もあった、ついこの間ここでみんなで食事したのにって何度も何度も思った。

ねぇ、おばあちゃん、約束してた保育士になってもうすぐ5年目です。
優しい保育士になるだって言ってたあの頃の私、現実はそう甘くはないです。
優しいだけではダメで色々悩んで、職場の人間関係にさらに悩みながら、春からまた新しい園児達に出会います。
不安で辛い。
人を好きになれない私が、本当に保育士になって良かったのかと思ってます。
人が怖い。
もうそろそろダメなんじゃないかと思う。
そうしたら、そっち行ってもいいですか…?