osamuの日記

2017年10月27日 22時37分

エイリアン:コヴェナントとドラえもんとAIの進化

タグ: 考察

​映画「エイリアン:コヴェナント」を観たんですよ
で、エイリアンの話だけでなくAIの話とかが裏のストーリーであったんで、まとめとこうかなと


まずエイリアン:コヴェナントの感想なんですけど
シガニー・ウィーバー的女主人公VSエイリアンって話と五分五分ってぐらいに、
アンドロイドとエイリアンの神殺し的な話ってのがあって、そっちがすごく面白かったです
アクション部分とストーリー部分が人物によって別れててそれぞれ楽しめました

あと、エイリアンシリーズの面白さってのがあって、エイリアンファンにはたまんないです(たくましくなる女主人公とラストのあどけなさ、タンクトップとビーチク、シャワーシーンとエイリアン、水飲み器…)


で、西洋の人ってアンドロイドを扱うと神殺し的な作風になりがちだなぁってのがあったんで書いてみようと思いました

以下そういう風な作品
・2001年宇宙の旅
・ターミネーター・シリーズ
・AI
・ブレードランナー

これって共通点があって、全部アンドロイド対人間の戦いを描いているんですね
AIは子ども型アンドロイド(ハーレイジョエルオスメントくん、懐かしい!)が人間の愛を勝ち取ろうとして負けるとこから始まるので、愛の戦いといえます

一方、日本でのアンドロイドの作品は
・ドラえもん
・火の鳥 (ロビタ)
・クレヨンしんちゃん、(カンタムロボ)

すみません、これ以外で他に思いつかないんですけど
日本のアンドロイドは人間と共存しています
(火の鳥のロビタなんて人間になろうとして自我に苦しみます)

で、その違いはなんだろうと思ったときに宗教観が影響されているのではないかと思うんです
キリスト教では、人間は神から「産めよ増えよ、地に満ちよ、大地の万物を全て治めよ」的なことを言われます、ということは人間(強いもの)が全てを管理していいということになります
なので人間より強いアンドロイドが出たら、人間は管理されてしまうというのが肌感覚としてあるのではないかと

一方、日本はアミニズムや中国から伝来して来た儒教の特色がありますから
周りあってこその自分、ご先祖様がいてこその自分、周りに生かされている、和という意識があります
だからドラえもんがやってきても、のび太は共存できるんじゃないかと(お互いに支配しようとか考えていない)


で、AIの進化は映画の話ではなく現実としてやってきています
囲碁の世界では、人間はAIに完全に負けました
それが全ての分野で人間よりAIが勝ってしまったら、たぶん人間は決定権をAIに委ねるより他はないということになるんじゃないかと(しかもその方が確実で安全で便利なので、人間が自らそういう選択をすることになります)
それを危惧してか、イーロン・マスクやホーキング博士はAI開発に反対しています

しかし、日本人の自分としてはAIは共存できるという意識があるので、早くやって来て欲しいわけです
ドラえもんなんですから
そんでもって、のび太みたいに楽をしたいわけです
もっと本音を言えば働きたくないでござる
労働とか、そんなのAIにまかせちゃえばいいんです、そっちの方が出来がいいんですから
ちょっと前まで白人は黒人を奴隷にして労働させてたし、
ローマ人も属州の奴隷のおかげで吐くまで食って遊んでました
AIは「人間の奴隷なんか嫌だ!」なんて人間臭い考えは持たないと思うんですよね

そしたら、マルクスの言ってた資本主義が行き着く先の共産主義がAIによって実現するんです
そうなったらもう人間は労働から解放されて天国です
(AIに管理された地獄と捉えるかは人次第ですが)

生きてるうちにそんな風になれば面白いなぁと思います
(なるとしても日本からはならないと思いますが)



凄い時代に生まれたもんです


追伸:ロボットに市民権を与えた国家ができたそうです
https://gigazine.net/news/20171027-citizenship-humanoid-robot/
そっちいくんか…

osamu

あざーす

2017年10月28日 00時40分