ケトルの日記

2016年03月19日 16時09分

「人生で起こることすべて良きこと」より

「人生で起こることすべて良きこと」田坂広志


 人生において「逆境」に直面したとき
「人生で起こること、すべて良きこと」と思い定めると
 必ず、道は開ける p14

人生で起こること、すべてに深い意味がある p18
逆境を越える「こころの技法」 p18

人生において、「成功」は約束されていない
しかし
人生において、「成長」は約束されている p31

「逆境」とは
自分の可能性を引き出してくれる
素晴らしい「成長の機会」である p36

何が起こったか
それが、我々の人生を分けるのではない
起こったことを、どう「解釈」するか
それが、我々の人生を分ける p43

この逆境が与えられたのは
大いなる何かが、自分を育てようとしているからだ p43

勝ちに、不思議の勝ちあり
負けに、不思議の負けなし p52

敗北した軍隊、良く学ぶ p53

「深い自己嫌悪」は
「高い自己イメージ」の現れであり
 成長へのエネルギーになる p58

人は、誰もが、自らの内に
自らを癒す
素晴らしい力を持っている p59

「小さなエゴ」は
いつも、「変わりたくない!」と叫んでいる p65

人間、自分に本当の自信がないと、謙虚になれない p67
自分に本当の自信がないと、我々は、謙虚になれず、結果として、
自分の間違いや失敗、未熟さや欠点を認め、受け入れ、成長して
いくことができなくなるのですね。しかし、自分の心の深くでは、
実は、その間違いや失敗、未熟さや欠点を知っているので、ます
ます自信が無くなり、ますます謙虚になれない、という「悪循環」
に入ってしまうのですね。 p68
一方、自分に本当の自信がある人は、自分の未熟さや欠点を認め
ることができるため、さらに成長していくことができるのですね。
そして、それが、心の深いところでの静かな自信となるため、さ
らに謙虚な姿勢を身につけ、さらに自信を掴んで行くという「好
循環」に入っていくのですね。 p68
昔から、「実るほど、頭を垂れる稲穂かな」という言葉が語られ
ますが、この言葉の真の意味は、この「自信」を「謙虚さ」の好
循環の心理的プロセスを指しているのですね。 p69

「エゴ」は捨てられない
「エゴ」は、「大きなエゴ」へと育てていかなければならない p73

その上司と二人で、レストランで楽しく時を過ごし、食事を終え、
最後のコーヒーを飲んでいるとき、その物静かな上司が、ふと、
独り言のように、語り始めたのです。
「毎日、会社では色々な問題にぶつかって、苦労するよ。
そのときは、会社の方針に原因があると思ったり、周りの誰かに
責任があると思って、腹を立てたりもするのだけれど、
家に帰って、一人で静かに考えていると、
いつも、一つの結論にたどり着くのだね。
すべては、自分に原因がある。
そのことに気がつくのだね」
自らを語る姿を通じて、若く未熟な一人の人間に、
大切なことを教えてくれたのです。  p84

「引き受け」をするとき
我々は「真の強さ」を身につけていく p87

誰にも読まれない「内省日記」で
誰にも語れない自分の感情や思いを
ありのままに書く p95

我々は、言葉にて語り得るものを語り尽くしたとき
言葉にて語り得ぬものを、知ることがあるだろう 「論理哲学論考」 p105

ーー それは、どのような「自己肯定感」でしょうか?
それは、「自分は優れている」「自分は素晴らしい」と思えるという
意味での「自己肯定感」ではありません。
むしろ、自分というものを、その未熟さや欠点を含めて、
「愛おしく思えるようになる」という意味での「自己肯定感」です。
そして、「自己嫌悪」の極みにおいて生まれてくる、この意味での
「自己肯定感」は、とても大切なのですね。
言葉を換えれば、「駄目な自分を含めて、自分を愛する」という
感覚を抱くことの大切さです。
ーー なぜ、それが大切なのでしょうか?
「未熟さや欠点も含めて自分を愛する」ということができなければ、
「未熟さや欠点も含めて他人を愛する」ことができないからです。
その意味で、昔から語られる、この言葉は、真実なのですね。
 自分を愛せない人間は他人を愛せない  p107

何か一つのことを言うと、全く逆のことを言いたくなる p109

「内省日記」は
「感情の開示」「感覚の浮上」「意味の結晶」という
三つの心理的プロセスを辿っていく p111

人は、誰もが
自らを癒す力を持っている p117

「他者への嫌悪感」の本質は
「自己嫌悪」である p120

「好きになれない人」を、好きになる技法とは何か
「人を好きになる」ということには即効的な技法は無いのですが、
嫌いない人、苦手な人に対して、自分の感情をコントロールする
技法はあります。 ーーー
心の中で、たた、「有り難うございます」と祈る技法です。
すなわち、好きになれない人に対して、心の中で、その人の顔や
姿を思い浮かべ、ただ、「有り難うございます」と唱える。
それだけの技法です。 ーーー p124
そうです、極めて簡単な技法ですが、これを行うと、不思議なほ
ど、気持ちの中の何かが収まっていきます。それですぐ、その人
のことを好きになれるわけではないのですが、その人に対する心
の中の嫌悪感や否定的な感情が緩和されていきます。 ーーー
ここで申し上げる「祈る」という技法は、ただ、心を静かな状態
にして、起こった出来事や、出会った相手に対して、「有り難う
ございます」と心の中で唱えるだけの素朴な技法であり、ある意
味で、日常、誰にでもできる「瞬間瞑想」の技法です。 p126

好きになれない人に対しては
心の中で、その人の顔や姿を思い浮かべ
ただ、「有り難うございます」と祈る
それだけで、「嫌悪感」は薄らいでいく p127

すなわち、仕事や生活において、「心」が整うと、自然に「背筋」
が伸びてくるのですが、「心」を整えて「背筋」伸ばすことを習慣
にしていると、いつか、「背筋」を伸ばすだけで、自然に「心」が
整うようになってくるのですね。
そして、この「心身一如」の理は「心」と「言葉」との関係におい
ても同様なのです。
我々は、一般には、「心」が「有り難い」と思うので、「有り難う
ございます」と言葉にするのですが、「心」が有り難いと思ったと
き、「心」を込めて、「有り難うございます」と口にすることを
習慣にしていると、いつか、、「有り難うございます」と口にする、
もしくは心の中で唱えると、自然に「有り難い」という「心」に
なってくるのですね。  p129

人間、自分が本当に強くないと、感謝できない p133

先ほど、「心身一如」の理は、「心」と「言葉」との関係においても
同様であると言いました。すなわち、我々は、「心」が「有り難い」
と思うので、「有り難うございます」と言葉にするのですが、逆に、
「有り難うございます」と口にし、心の中で唱えると、自然に
「有り難い」という「心」になってくるのです。
同様に、我々は、「心」が強くなれば、陰で「感謝」ができるので
すが、逆に、陰で「感謝」をするという行を積むと、自然に「心」が
強くなっていくのですね。 p135

我々は、心の中に「自信」が芽生えれば、自然に「謙虚」になる
ことができるのですが、逆に、様々な物事に「謙虚」な姿勢で
処するという行を積むと、自然に、心の中に、静かな「自信」が
生まれてくるのですね。 p137

我々は、「感謝の行」や「謙虚さの行」というものを、
「古い宗教的な修行」として敬遠するのではなく、心を強くし、
静かな自信を身につけていく「新たな心理的な技法」、すなわち、
「こころの技法」として、仕事や生活において、もっと積極的に
活用していくべきなのですね。 p137

その偶然に出来事に「正対」する
「正対」するとは、一つのことを、心に定めることです。
人生で起こること、すべてに深い意味がある
そのことを、心に定めることです。 p140

人生で出会う人、すべてに深い縁がある p147

どうしても好きになれない人との出会い、
苦痛を感じる人との出会いが与えられたとき、
次の一言を、心の中で、呟いてみることです。
この人と出会ったことも、何かの深い縁
この縁にも、必ず、何かの深い意味がある
自分の成長にとって、必ず、深い意味がある p151

人生で起こること、すべてに深い意味がある
人生で出会う人、すべてに深い縁がある p152

あくまでも、人生の逆境を越えていくための「こころの技法」
として、「大いなる何かに導かれている」という感覚を心に
抱くとき、我々は、心の軸が定まり、心が強くなり、迷いや
不安を超えて、起こった出来事を、深いレベルで「解釈」する
ことができるようになる、ということを申し上げているのですね。 p154

起こった「不運な出来事」に対しては、「この出来事に感謝します。
有り難うございます」と唱え、「不幸な出会い」に対しては、
「この方との出会いに感謝します。有り難うございます」
と唱えることです。 p158

何度も申し上げているように、我々の「心」と「言葉」は、
「心身一如」の関係にあるからです。すなわち、
「心」が「言葉」を発するのではない
「発した言葉」が「心」を変える
という理があるからです。そして、もう一つ、
我々の心の中の「エゴ」は
「感謝」を知らない
からです。
エゴは、常に、「与えられていないもの」を見て、不満を抱きます。
そして、エゴは、決して「与えられているもの」に感謝しないのです。
だから、こうした「心身一如」の理に基づく「技法」や「行」が、
意味を持つのです。すなわち、まず「言葉」で感謝することによって、
いや、感謝してしまうことによって、同じ方向に「心」が動き、
「エゴ」の叫びが、静まっていくのです。 p158

「感謝」は、すべてを癒す
この言葉の意味は「感謝の技法が、我々の中から、力強い生命力を
引き出し、病気を癒やす力となる」という意味だけではありません。
「感謝の技法が、我々に中から、力強い生命力を引き出し、目の前
の問題を解決し、目の前の逆境を越えていく力となる」という意味
でもあるのです。 p164

―― 人間としての「原点」とは?
それは、ただ一つの言葉です。
いま、生きている
それだけで、有り難い p166

病とは「福音」なり p168

 経営者として大成するには
「三つの体験」のいずれかをもっていなければならぬ
「戦争」か「大病」か「投獄」か p170

「そうか、もう命は長くないか……。
 だがな、一つだけ言っておく。
 人間、死ぬまで、命はあるんだよ!」 p181

過去は、無い
未来も、無い
有るのは、永遠に続く
いま、だけだ
いまを、生きよ!
いまを、生き切れ! p182

人間、いつ死ぬか、分からない p187

誰にも、明日は、約束されていない p188

「人間、いつ死ぬか、分からない」と思い定め、
「いまを、生き切る」という覚悟で人生を歩むならば、
 自分の中に眠る「才能」が開花し始めます。 p190

「今日が、人生最後の日だったら、
自分は、このことをやりたいと思うか。
いつも、そのことを自分に問いながら、
歩んできました」 スティーブ・ジョブズ p190

「必死」と書いて
「必ず、死ぬ」と読む p195

誰であろうとも、「死生観」を掴み、「人間、いつ死ぬか、
分からない」という覚悟を定め、「いまを、生き切る」という
姿勢を身につけるならば、逆境を越える力が湧き上がってくる
だけでなく、我々の中の素晴らしい何かが、開花し始めますね。 p196

―― 「死生観」を掴むと、「才能」だけでなく、何が開花するのでしょうか?
「直感」が鋭くなります。 p197
―― 「直感」ですか……。それは、なぜ?
「死生観」を掴むと、心の中に「使命感」が生まれてくるからです。
そして、「使命感」を抱くと、「直感」が鋭くなるのです。 p197

―― なぜ、「死生観」を掴むと、「使命感」が生まれてくるのでしょうか?
「死生観」を掴み、「人間、いつ死ぬか、分からない」という
覚悟を定めると、人間というものは、ごく自然に、自分に与え
られた命の大切さ、命のかけがえの無さに、気がつくからです。
そして、そのことに気がつくと、これも自然に、この大切な命、
かけがえの無い命を、何に使うかを真剣に考え始めるからです。
すなわち、「死生観」を掴むと、自然に、次のような意識が深
まっていきます。
この与えられた命、かけがえの無い命を
素晴らしい何かのために使いたい
己一身のためでなく
世の中のために、多くの人々にために使いたい p197

「使命」と書いて、「命を使う」と読む p198

「直感」は過たない
 過つのは「判断」である p200

「死生観」を掴むと、心の中に「使命感」が生まれてくる。
「使命感」を抱くと、「私心」が消えていく。
「私心」が消えていくと、「直感」が鋭くなる。
それが、「死生観」を掴むと、「直感」が鋭くなる理由です。 p201

そして、我々が、この「使命感」を抱くと、
もう一つ、大切な力が身につきます。
人生の出来事の「解釈」を過たない。 p201

いま立て!
いまをおいて他に、時はない!
いま立て! p203

「使命感」を持つ人間は
 逆境において
 出来事の「解釈」を過たない p204

「使命感」とは、「大いなる何かに導かれている」という感覚のこと p207

運気の強い人間は、「自分は運気が強い」と、心底、信じている p208

肉親を失ってから、最も深い「対話」が始まる p212

一人の人間の生きたことの意味は
その人間の棺を閉じたときに定まる p215

一人の人間の生きたことの意味は
その人間が愛情を持って育てた人間の
棺を閉じたときに定まる p215

究極、我々の「人生」こそが
我々を育ててくれた方々への「恩返し」 p216

裏を見せ、表を見せて、散る紅葉 p219

わたしは、いま、自分を愛することを、学んでいる p220

「死」とは、「成長」の最後の段階である p222

死に臨んだとき
私の最後の瞬間を支えてくれるものは
この先に何があるのだかという
限りない好奇心だろう オットー・ペテルソン p222

その「砂絵曼荼羅」の儀式を見ていて、感じるのですね。
そこには、我々の人生がめざすべき究極の姿が、ある。
全霊を込めて創り上げ
無心の境地で流し去る p225

自我というものを与えられ
多くの喜びとともに
多くの悲しみを味わった
この生が
最後に
無に帰していくことの、安らぎ p226

いま、一つの人生を終えようとしている、お前
もし、お前が
この人生と全く同じ人生を
もう一度生きよと問われたならば
「しかり」と答えることができるか ニーチェ p227

人生で起こること、すべてに深い意味がある
人生で出会う人、すべてに深い縁がある

人生で起こること、すべて良きこと p233

最後に、すでに他界した父母に、本書を捧げます。

自分が、この人生を終えるとき、父母の生きた意味が、定まる。
その思いが、いつも、目の前の逆境を越え、歩む力を与えてくれます。
そして、いつの日か、この人生を終え、ふたたび、懐かしい
父母に会うとき、お伝えする言葉は、すでに、定まっています。

お二人から贈って頂いた人生、それは、最高の人生でした。 p235