2016年02月26日 19時06分
自分を大事にすることについての禅問答のようなもの
他人から大事にされるために,自分を大事にすること
持ち主が,褒めもしないし,手入れもしないし,いつも粗末に扱われているような宝石は,元々価値があるものでも,大事にしようとは思われないし,逆に,どんな宝石だろうと,持ち主がとても気に入っていて,よくお手入れしているし,長年大事にしているような宝石は,こっちも扱うときにはすごく丁寧に,大事に扱わなきゃなあと思う,そういうイメージ
自分で自分に満足感を得るイメージ,満足の自給自足,なんだかいつでも他人に欲求ばかりしている人は,貧相に思える,かわいそう,一度も満足したことがないし,これからも決して満足できないんだろうと思う,自分に自分が満足していれば,他人に求めるものってあまりないんだな,だから他人にもあまりイライラしない,最初から求めてないもの,期待もしていない,ある意味孤独っちゃ孤独かな,でもとても生きやすい,自給自足
でも満足は自給自足だけど,自給自足だから,必要な分だけでいい,余った分のたのしい気持ちは,やさしい気持ちにして誰かにあげる,物々交換もできるかもしれない,自給自足は孤独だけれども,そういう方法で,誰かとつながっていけるのかもしれない
しかし,よく考えたら,わたしが満足するのは,いつだって誰かのおかげであり,行きつくところは,他人への感謝になる,そのあたりに答えがあるような気がする
自分を大切にするというのは,自己肯定,そのための満足,それからそのことへの,他人への感謝,ということになるんだろう
自分でただ漫然と満足だけしていたら,それは甘えや堕落になるように思う,そこへ他人への感謝が伴うと,自分だけの世界から脱け出して,他人との関りをもつと,もう少し実体のある満足になり,それが自己肯定の支えになるように思う
何言ってるかわかんなくていいんです,禅問答だから
だんだんゲシュタルトが崩壊
柊
自己と世界の境界線を幸福感という力場にも落とし込めたら案外解決しそうでもありますがの。(なにがなんだかゲシュタルト)
2016年02月26日 19時10分
ケトル
「“自分が嫌い”というのは“自分の心と体を、自分の頭が見下している状態”であって、“自分が嫌いな自分”を好きだと言う人 =趣味が悪い、気持ち悪い =その人も嫌い」 http://peepee.cocolog-nifty.com/peepee/2011/02/q-ab2f.html
2016年02月26日 19時26分