ゆるキャラの日記

2015年12月24日 14時07分

終わる世界とバースデイ side episode レビューと感想

以下の文章は、前書いた日記のマドガ☆マギガと同じくネタバレが多く含まれます。
多分、ここだとこの作品知らない人ばっかだと思うけど暇なのでレビューと感想書きます。 これ見て興味が湧いたら幸いです。



現実はいつだって優しくない。
彼・彼女等はそれをリアルと言った。


何時からだったのか。物心つく前からだったのか。小学校に入学した時からだったのか。それとも背が伸びなくなった頃からだったのか。
そんなことはどうでもいい。
切欠はなんだったのか。外で何か怖いことがあったのか。友人と喧嘩をしたのか。それとも虐められたのか。そもそも友人なんて初めからいなかったのか。
そんなことはどうでもいい。

彼女はいつも独りだった。
彼女は現実に打ちひしがれていた。

そんな時、彼女は一人の家庭教師に出会った。
おそらくは、他の誰とも関わろうとすらしてこなかった彼女が、家庭教師と話している時だけは、笑顔を見せるようになった。
しかし、それは家庭教師に心を許したからというわけでは決してなく、むしろ彼女は益々、外の誰とも関わらなくなっていった。
彼女はその「世界」に満足していた。

彼女は家庭教師と過ごす間だけは王女になれた。ひとりぼっちの世界の王女さま。
彼女は語る。「はじまりの物語」を。彼女の国の、彼女の物語を。
彼女は語る。時折、家庭教師に助けてもらいながら、懸命に。
だから彼女は笑顔でいられた。邪魔する者は誰もいない。
彼女はその「世界」に満足していた。

しかし、家庭教師は言う。
世界は広い。君の知らない世界はたくさんあるんだ。と。
彼は彼女を救いたかった。広い広いこの「世界」を見せたかった。

しかし、彼女は拒絶する。
世界は怖い。安心できないところだ、あたしは知っている。と。
彼女は彼を追い出した。彼女はその「世界」に満足していた。


時は流れ、彼女は大人になった。
親のコネではあるが、就職もして働いていた。
彼女は世界の外に出た。
それでも心を許せる友人はいなかった。
相手をしてくれるのは公園の野良猫だけ。
彼女はいつも独りだった。

そんな時、新宿に[世界]が現れた。

[世界]はなに?
だれが[セカイ]を生んだの?
どうして[せかい]は現れたの?
目的は?意思は?意味は?

「全ての問いに答えが用意されているなんて思い上がった考えだ。」

そう言ったのは、彼女だったか、アリスだったか、それとも他の誰かだったか。

ともかく私もそれには同意見だ。明確な答えがあればもっと人生楽に生きられるんだけどね。


話を戻そう。
彼女は[世界]にいる間は楽しかった。幸せだった。自由だった。
根暗で惰弱な性格は一変し、誰よりも積極的に行動を起こした。
[セカイ]は彼女が求めた「世界」だったのだ。

それでも彼女は満たされなかった。
彼女は「完全」を望み、「完璧」を祈った。

『悲しいことなんか起こらずに――みんなみんな幸せで。いつまでも楽しく暮らしました。そんなお話がいい。』

「世界」は「完全」じゃない。
「物語」は「完璧」じゃない。

だから彼女は「世界」を捨てた。
新たな「セカイ」を手に入れるために。


更に時は流れ、[世界]という存在があったことなどすっかり遠い記憶となってしまった。
彼女は砕け散り、相棒も死んだ。

それでも、まだ一人だけ[世界]を捜している者がいた。
元家庭教師。
そう、彼だ。

彼は、「完全」を求めていた。
信じてなんかいやしない。
彼はリアリストだ。センチメンタルでポエマーな気障男だが、誰よりも人を突き放して、冷静に見ることに長けていた。
そんな男が、「永遠」も「無限」も嘲笑った男が、それでも、「完全」を求めた。

彼が信じていたのは「意図」だ。
この物語の「世界」の「外」を、そこにある「意図」を信じた。

彼は言う。

『「世界」が消えるわけじゃない。俺たちには俺たちの「リアル」が続く。「外」の「外」にも「世界」はあるさ。「物語」なんて、些細な部分に過ぎない。よくできた。時にはでき過ぎた――リアルさ。』

彼が信じていたのは[世界]で、[セカイ]の「意図」だ。
それは「世界」の「外」の「意図」で、この作品を書いた彼等の「意図」だ。
それは、ひょっとしたら、この作品をプレーした私達の「意図」なのかもしれない。

そして、彼は、
彼は「語る」。それが彼の役目だから。
カレは「読む」。それがカレの役目だから。
彼女は「語り継ぐ」。それが彼女の役目だから。
カノジョは「踊る」。それがカノジョの役目だから。

すると、そこに一人の少女が現れた。
彼女”は“   ”と名乗った。

彼は“   ”に向き合った。
彼の最後の仕事。家庭教師としての最後の仕事。

「そしておまえの本当の名前を教えてやろう。」

“   ”は昔、こんなことを言っていた。

「こんなの、あたしの名前じゃないわ。あたし、   でいいの。  でじゅうぶんだわ!」

そう言っていて、頑なに「世界」を拒んだ“   ”が、

「……うん……………教えて……」「……教えて……先生……」

そう、自ら“名前”を聞いたその時。
彼女”の、“ナナセノゾミ”の、長い長い旅、名前捜しの旅は、ようやく終わり、“彼女”は“七世希望”として帰ってくるのだ。


そして、エピローグ。
季節は春。
七世希望はもう孤独も絶望も抱えていなかった。
彼女は名前を見つけたのだから。

訪れる、ラストシーン。
新宿で、七世希望と彼はすれ違った。二人はなにも語らなかった。話すことすらしなかった。
ただ、最後に七世希望が見せたあの笑顔が、この作品の全てを物語っているといっても過言ではないと、私はそう思うのだ。

季節は春。
春は「はじまりの季節」だ。
「はじまりの物語」を語り終えた彼女が、「はじまりの季節」に決意を持って新たな道へ織塚美咲として旅立っていく。
その後のことは誰も知らない。知る術はないし、知る必要もない。
陳腐な言い回しだが、これから先、幾多の困難が、織塚美咲を待ち受けているだろう。
現実はいつだって優しくない。


ただ、七世希望が、“世”を“望”むことは、それだけは、きっともうない。
彼女は、自分の足で「世界」に向けて旅立ったのだから。


これはそんなどこにでもある物語り。ごくごく在り来たりなお話。