かみほやの日記

2015年11月16日 03時20分

感情の相対化と嫌悪感の正体

ふと気づくことがあって残したくなった

感情を比較し、相対化する人がいる
誰かが愚痴や文句を書けば
「◯◯のほうが辛い」
「◯◯のほうが大変だ」

という風に答えるのだ

いつから感情はそんな比較して否定することができるようになったのか
その人が辛いというから辛いのだ
その人が疲れたというから疲れたのだ

もちろん、だからといってそういう人がいるたびに
優しくしろだとか、労わってやれとか言わない
放っておけばいい
関わらなければいい

だけど気づくと誰かが
「◯◯のほうが辛い」
「◯◯のほうが大変だ」
「甘えるな」
というのだ

完全に主観だが
私はそういう言葉に酷く嫌悪感を覚えるのだ

それは何故か今の今までわからなかったが、
今さっきわかった

私の父親の口癖だったのだ

「北朝鮮の子供は親からご飯をもらえないんだぞ!」
「少年兵で学校にいけない子供もいるんだぞ!」

私がよく震えていたこの丑三つ時の時間帯に、
酔っ払った父親が私や兄弟に向かって怒鳴っていたのだ
最後は必ずといっていいほどこの言葉だった

「こんな素晴らしい生活を送らせている俺に感謝しろ!」

大人になった今なら
「ああ、父親も大変だったんだな」
「自分の何か保つために必死だったんだな」
と思うが

夜のこの時間に繰り返される説教と怒号に
「ああ幸せを感じられない自分はなんてダメな子供なんだ」
と日々を過ごしていた

違う、違うんだ

もし今辛い人がいるのであれば
もし今苦しい人がいるのであれば
その辛さや苦しさは誰かと比べていいものじゃない

その辛さは本物だ
その苦しさは本物だ

甘えとか色々他人に否定されても
それは本物なのだ

それを必ず頭の片隅でもいいから持っていてほしい
でないと必ず何かがおかしくなってしまう


どうしても文章がポエミー&改行多めになってしまうな
中学生時代からの癖かな
長文と乱文を最後まで読んでいただきありがとうございました