2015年08月13日 22時43分
磨耗と研磨のはざまで歌うことについて
フレア。まあたらしい記憶に飛び火する、おもかげのこと。ひんやりしめった表皮にくるまれて過ごす、夏のゆうべのこと。スニーカーをふりまわしながらあるく、桟橋のこと。
ありがとう、みんなだいすき、さようなら。
ひとつひとつ、綴じていく色彩の輪のなか閉じていく、祈りに。
深緑のコテージ。そのポーチに立てかけられたいちまいの水彩画のように、僕は今とても、ひっそりとしている。
掌上の絶え間ない微熱をいちまい、いちまい、たしかめるように生きてる。
名前という借りものがすこしおもくかんじる時もあるけれど、それでいい。
いま、いれものをうしなうわけにもいかないし。
ねえ、
方法も、過程も、結果も、すべて大事だとしても、ぼくらはきっと全部を守りとおせるほど器用じゃないんだとおもう。
だから、たとえどんな選択であれ、ひとりの人間を絶望させるほどのものじゃない。
ぼくらの前には、手に負えないほどの創造が横たわっていて、それを前に逃げだすわけにはいかないんだよ。
だから、
どろにまみれた雲母のように、にぶく、きらびやかに。
とぎすまされた羅針盤の針のように、ほそく、するどく。
光れよ。
きみ。