2015年06月29日 19時07分
ひろがる話
※とても中学二年生
ほんとの自分ってなんやろかって,ときどき思う
わたしはわたしであることに間違いはないけれど,
わたし自身がわたしだと思うことは誰とも共有ができなくて
というか世界にわたしひとりだったら,わたしであることに意味がなくて
世界にあなたがいるから,わたしがあるわけで
あなたのいないところで,わたしもいない
つまり,わたしをわたしだと決定しているのは,
わたしが表現したものを,わたしの外にいる人が受け取って,
はじめて,わたしが存在しているのだと思う
しかしこれまた当然であるけれど,
わたしはわたしの内部のものを全て表現はできない
世界はわたしの内部の一部を受け取って,それをわたしだと世界は認識している
そしてこれまた当然のように,
わたしのまわりの人全員に,全く同じように,表現しているわけではない
宛先にccをつけるのとはわけがちがうんだから,
相手がちがえば,わたしの振る舞いだってちがう
わたしはここでわたしのことを全く知らない人へ,
リアルではとうてい言ったことのないような部分を発信していて,
かといって,ここの人たちは,わたしの一番根幹であろう姿や声,
リアルに動いているわたしをみたこともなくて,その素性や生い立ちも知らなくて
そしてどちらでも言っていない世界の誰も知らないわたしの部分があって
しかも毎分ごとにわたしも変化しているわけで,
昨日のわたしは今日のわたしではない
絶対に変わらないわたしを受信しつづけられる人はどこにもいない
毎日会うごとに,ここにつぶやくたびに,ちがうわたしからのメッセージを世界はうけとり
またわたしを構築していく
ともかくも「わたし」っていうのは,わたしが表現するごとに,すごく分散されていて
どこへ行っちゃったのよと錯覚してしまうほどに
いくつもいくつも「わたし」がいる
けど,どれひとつも完全ではないし,
けれど,どのひとつもその場では完全とみなされていて
その場,そのとき,その人の前でのわたしが一応,完結している円だとすれば,
無数の円が,わたしが毎日毎日量産されているような
円のひとつひとつ,ずいぶん広がったわたしが,やっぱりわたしなんだろうか
ベン図が重なり合うその小さな小さな部分が,本当に本当のわたしなんだろうか
しかしまあこんなにも分散されたわたしをひとつずつ拾って整理しなおすことは
とてもできませんので,やる気もおきないし,途方もないし,はあ,嫌になる
というわけでやっぱりわたしとは何か何やらわからないまま
今日もわたしがひろがっていく
(ああ,解決しなかった)
(多分,死ぬまで)
だも
それでいいじゃない にんげんだもの だもを
2015年06月29日 19時15分
yusaxxma
もとさん あざす!もとさんも素敵やで(´ω`)
2015年06月29日 19時27分
yusaxxma
だもをさん オリジナルきたわ…!(´ω`)それでいいかなん
2015年06月29日 19時27分