ねことらの日記

2015年05月07日 00時36分

質量のないコインを積みかさねる夜に

ポインター。しずやかな水に指をひたす。波紋。とうめいな器にしずんでいく月の在り処をおしえて。ぼくはさがしてる。あとは手ざわりでわかるから。






だれもいない駐車場の車止めブロックはすわりごこちがいい。割り振られたナンバーは、清潔な骨のように並んで横たわっていて。

ぼくは静寂の波際で足をあらって、いる。ここはせきとめることのできないよるの堤防だった。

ひんやりとした街灯、ゆがんだ道路標識の支柱、ローソンの看板、いまはもう無い曲がり角の電話ボックス。

こうえんの遊具はひっそりと絶命していて、しずかで、だれも存在していないみたいにしずかで。じぶんだけがすこしずつ、わずかにだけれど決定的に異質で。


ぼくはときどき祈ってる。すべてのくるしみが報われるように。すべてのかなしみが、干し草のようなぬくもりを帯びるように。すべてのさみしさが、そのほそい針のような霧雨が、どこかに流れつくように。


だけれども、ぼくらは夏にむかっていく過程のなかで、やさしい演算機にかけられ、解体され、数値化され、ただしい五月にただしくプロットされていくだけだった。








深夜のマクドナルドが好きだ。無感覚に消費される音楽と、行き場のない燃えかすみたいな時間だけが流れていて。やさしい計算ドリルをくりかえし解いていくような退屈なやすらぎがあった。


アンインストール。モニターにタッチする。アプリを整理する。とても簡単だ。ひとつひとつ、切断する、隔離する、埋葬する、なにを?なにが?なにもかも。すべて。


つたえたいことがあるのに。やまほどあるのに。予測変換される感情で埋められるていくよる。ことばはたぶん、ぼくのものではなかった。手放すのは簡単だった。とても簡単だ。








ぼくらはどうしようもない言い訳を何かと交換しながら、生きてるように見せかけている。本物であることを偽装している。

それはかぎりなく無意味で理不尽で、なにより尊い儀式で。

無機質さや単調さを排除する。そうすることで豊かさを手に入れようとしてる。それはきっと正解であり、ささやかな呪いでもあって。







カウンター。ぼくはまた、1まい、1まい、と積みかさねる。そこには色も音も温度も、重さすら、ない。

なぜなら、それはきっと、ねつをもたないささやかなひかりだからだ。

蘭ch

印象的で素敵な文章だと思いました

2015年05月07日 00時37分

まる塩

引き込まれる文(´・ω・`)

2015年05月07日 00時40分

ねことら

読んで感想までいただけるなんて嬉しい限りです<蘭ちゃん

2015年05月07日 00時45分

ねことら

最高の褒め言葉です。ありがたいでごわす<まる塩さん

2015年05月07日 00時46分

ねことら

言葉を吐き出してつむいでいくことは、とてもさみしくてくるしいことなので、それに触れていただくことで僕も救われた気分になります。ありがとうございます。

2015年06月10日 01時54分