ヨコの日記

2015年04月26日 21時06分

【映画感想記ネタバレあり】バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)

※ネタバレありますんでご注意を。
数日前、バードマン観てきました。賛否両論わかれるという事前情報があったので恐々してたんですが、自分的には充分楽しめて満足度80%くらいでした。
ジャンル的にはブラックコメディなんだろうけど、自分には主人公のリーガンの視点で共感しながら観ていたので、すごい悲劇的な話に思えました。
映画・演劇界の内輪ネタっぽいけど、キートンが抱える「みんなに愛されたい」「栄光を取り戻したい」っていう自己承認欲求は誰しもがもってる普遍的なもの。現に自分も会社だったり、仲間内だったり、SNS だったりで、自分の存在意義をアピールしたい欲求あります。この日記を書いてること自体、少なからず自己承認欲求がありますもんね(苦笑)娘役のエマストーンにボロクソ言われ、気鋭の俳優役のエドワードノートンにプライドをズタボロにされ、でもブロードウェイの世界で返り咲きたいキートン。「嗚呼、かわいそう」って同情してしまう。
ただ、ラストのね、『娘のエマストーンが空を見上げてにっこり』、にどうも納得できないんですよね。それまでの妄想・超能力シーンは統合失調的なキートン視点なはずで、娘が空を飛んだキートンをみたかのような演出は間違ってると思うんです。考察をみたら、「キートンは劇中で死んでいて、病院シーンは全て妄想(架空の世界)」っていういう解釈もあるそうで、なるほどそっちのほうがしっくりかも。確かに擬似ワンカットが明確に終わってるし。だとしてもなぁ、やっぱり納得いかない。あーモヤモヤする。そこが不満ですかね。
あとはやはり擬似ワンカットでの撮影、ドラム音が醸し出す緊迫感は凄かったですね。個人的には、久々にキレッキレのエドワードノートンがみれたのが何よりも嬉しかったです。最近、「エドワードノートンじゃなくてもいいじゃん」っていう大人しい役ばっかだったから。
いや、文章長くなりました。ラストのスッキリした解釈、どっかに落ちてないかなぁ。