polgaの日記

2014年10月23日 02時00分

マイクロコマンドーの歴史。

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1940年代ナチスドイツは小型兵士を作る研究をしていた、優秀な遺伝子学者をドイツ国内や同盟国であるイタリア、大日本帝国などから召集しホロコーストにより連行されたユダヤ人を使っての人体実験を日々繰り返してきた。

研究は失敗に失敗を重ねゾンビ化したユダヤ人で隔離施設はいっぱいになっていた。

1944年4月25日連合軍の工作員により隔離施設のゾンビが放たれたゾンビの襲撃により視察に訪れていたヒトラー氏を含む25人が死亡、研究者と警備に当たっていた軍人5人が連合軍工作員を殺害し脱出に成功した、同月30日にはベルリンで影武者を殺し隠蔽した。

遺言により研究成果は脱出に成功したアーリア人学者のシュタイナー教授と大日本帝国、イタリアに3分割されることになった。


日本、イタリア共に敗戦色が強まっていた

日本では東條英機氏の命令により台湾統治をしていた安藤氏を経由し信頼できる台湾の民間人に渡り後に台湾政府にもたらされた

イタリアではマフィアに強奪された

1975年、台湾政府の計らいによりシュタイナー教授、マフィアのボス、台湾総統の厳家淦氏が合流に成功した

1976年ナチスの施設から脱出に成功したシュタイナー教授の同士であるイタリア人のヴィト・ロッシ教授と日本人の山本教授とも合流し研究が再開した。

1995年ついに研究は成功し2010年には先進国で普及した。

2012年研究スタッフが開発したマイクロコマンドーの拡張遺伝子の開発に乗り出したが...

(本編に続く)