2013年07月26日 00時33分
恋愛には資格がある。
タグ: 非モテsns日記転載
よってすべき人とすべきでない人がいる。
すべき人に必要なことは
・自分も相手も愛せる
・自分と相手を過度に同一化・同一視しない
・相手に費やす時間と自分に費やす時間を適切に調整できる
・相手にしてもらったことは好みの如何に関わらず社会通念上問題がなければ受け入れられる
・相手にしてもらえて嬉しかったことやよかったことを相手に対して適切な形で提供しようと思はえる
などがパッと浮かぶ。
逆に
・自分と相手を過度に同一化する
・相手にしてもらった行為の内容が意に沿わなければ納得できない
・相手もしくは自分に時間を費やしすぎる
・~してもらって当然と思えるようなことがひとつでもある
・相手の趣味嗜好が社会通念上問題がなくても納得がいっていないし許容できない
などの資質要件にひとつでも当てはまるものがあるならば、自粛すべきだ。
なぜならば狭量は円滑な交際を阻害するだけでなく、その許容のなさが相手を不幸にする。
その結果が鉄道模型であり、特撮ロボであり、S1000RRなのだ。
自分の世界が絶対で、反するものは異物であると判断する限り二人に幸せはない。
確かに自分は幸せだろう。
だがそのような関係のどこに情の厚みや心の温かみがあろうか。情の厚みや心の温かみを否定した関係など恋人でも伴侶でもないただの奴隷だ。
ならば一人でいたほうがお互いに幸せというもの。
だがこれらの行状を自覚し客観視できる人は、実は結婚すべき人なのかもしれない。
客観視できるということは改善の余地があるということであり、対人関係における柔軟性の発露であると言い換えることが出来る。
つまりわかった上で放置している人は、ともすれば恋人や伴侶が出来たときに相手の言動から自分をより客観的に見直し、最適な行動や言動を採る事が出来るかもしれないのだ。
だから一概に「自分には恋愛や結婚をする資格がない」と思い込むのは早計というもの、互いに思いやりを持ち、慈しみあって高めあえる関係を持つために必要な資質を貴方は持っているのかもしれない。
やんかな
keithさんおひさです!><
2013年07月26日 00時37分
P助
自己満とその場のノリで書いてますんで。
2013年07月26日 00時37分