もつにの日記

2012年05月30日 13時57分

蟷螂の鏡 序

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たぶん私の田舎だけで有名なお話です。

地元は数百人規模の小さな町で、元々あったいくつかの村が合併した町でした。
その際全部で4つの村が合併したのですが、実は合併と同時に地図から消え、事実上存在が無かった事にされた5つ目の村がありました。
これはその5つ目の村で実際にあったという、蟷螂の鏡の話です。


そこは山が多く、また日本海に面した厳しい環境で地域全体がとても貧しい場所でした。
まるで外に出ることを禁じるかのように険しい山に閉ざされて、まだ鉄道どころか道すらもきちんと通っていないような時代、ほとんどの家はろくに作物の育たない畑を耕し、少ない獣を捕りに山へ入ってはなんとか口にのりをする程度の暮らしだったそうです。
その時はまだその地域には4つしか村が無く、海側の村が魚を持ってきて山側の村が獣と交換する程度の付き合いでした。
その村の中で、山側の一番小さな村を仮称で「山の村」とします。

山の村は他の村よりも小さかったですが、子供はとても多く
暗く寂しい場所でしたが、対して村人は明るくあまり貧しさを感じない村でした。
山の村は山を開発し、キノコや山菜が多く取れるように品種を掛け合わせたりする事で土地の貧しさを克服し
山を越えて大きな街まで行商へ行く事で貧困を乗り越えようとしていました。

ただひとつ、山の村では妙な風土病が蔓延していました。
何故かみんな50歳を超えると「狂う」のです。
今でいう認知症のような症状ですが、50歳前後でほぼ確実かつ急速に発症し、狂うと突然山へ入って行方不明になり
その後死体で見つかるか、見つからないかのどちらかでした。
なので村の掟として、子供は親が50歳になると家に小さな座敷牢を作り、狂っても一生面倒を見ると約束するのが決まりになっていました。
また座敷牢の壁は一部脆くなっていて、簡単に破られ山へ逃げられてしまう。
それも暗黙の掟のようになっていました。
狂った親を一生面倒をみるという約束はするが、逃げられたなら仕方ない。
村の人々はそうやってバランスをとって暮らしていました。


続きます