なぜドキュメンタリーに光を見出したのか。

それはドキュメンタリーだけが、映像の偶発的なノイズを価値として認めることができる唯一の存在だったからだ。ドキュメンタリーにおけるカメラへの評価とは、カメラマンとしての技術を測るだけではなく、カメラを構えた人間の精神を評価する要素が大きい。

いま、ドキュメンタリー的な要素があらゆる映像に強く求められる時代になった。なぜか?旧来の映像の価値が下がったからだ。誰もが安定した映像を作れる時代。優秀なAI機能が搭載されたカメラが出回れば、ドキュメンタリーカメラマン(ディレクター兼カメラマン)以外のカメラマンは職を失うだろう。技術面から考えれば、その日も近い。

Mr.Orange

君の壮大で幼稚な脚本を、超絶技巧の映像美で再現できる時代がすぐそこまで来ているよ。

陶酔と憐憫に塗れた世紀の駄作が世界中に溢れかえるよ。見栄えだけは最高。ただ、似たような美しい映像ははいて捨てるほどあるみたいだし、3幕構成を基調としたマニュアル通りの展開は圧巻の一言。あと吐き気。

そこに一体どんな価値があるというの。

2020年10月18日 05時00分