例えば彼女ができる、結婚して夫婦になると言った場合、必ず「相手」がいるわけです。そしてその相手は自分とは違う「他人」である事は否めないでしょう。
その他人と生涯居なきゃいけなくなると考えると、必ず衝突が起きます。これらのリスクを私自身は耐えられません。プライベートに侵入してくる人はどうにも我慢ならんのです…。よって非モテ=孤独こそが煩わしさから解放された自由人ではないかと。
最も孤独の間は全て自分の時間として使えるので自分が何をやるか決めているなら何ら問題は生じないでしょうね。

返信気づきませんでしたw
ありがとうございます。
個人的にですが、最も信頼できる肉体が最後に着いて来るものと考えてます。曰く権力、人脈、金、妻、息子、友人他 誰も何も着いて着ませんので。死ぬ時は常に独りなのでやはり最後は自分の肉体が共するのです。

非モテとは、真のリア充と見つけたり。

ぬけさく

アカン!暑さにやられとる!

2014年07月13日 00時00分

自分の人生の終わりまで付き添ってくれるのは一体誰なのか?それは自分の肉体以外にない。故に体を鍛える事は自分の最も信頼できるモノを強化しているのに等しいのである。
墓場までカネ、権力、人脈、友人、その他諸々は持っていけないのである。ということは真の意味でそれらに完全な信頼を置くことは不可能なのである。俺は独りではない。俺には俺の肉体がある。鍛えれば応えてくれるのである。それでも充分ではないだろうか…

モンハン楽しいな〜
久々に長く遊んでるゲームだ。
双剣から始めてヘビィボウガン、今は操虫棍を使ってるけど、テクニカルな武器がモンハンには多くて楽しい。
あ、もちろん、REALな空手も武術も楽しいですよ。
「楽しい」があれば生きる力がプラスされるんだなぁ(しみじみ)

さて、明日は稽古後の納会だ。
毎週最も癒される稽古仲間達と共に盛り上がれれば今年一年もそんなに悪くなかったとおもえる。楽しみだ

怯まず、惑わず、疑わず。
難しくないようで難しい。
周囲には誘惑するものがたくさんある。それらを振り切ってやりたいことに注力するのは意外に難しい。
俺なんか移り気が激しいからある仕事をしてても別の事を心配する時が多い。何とかならんものか…

久しぶりの人との飲み日記を投稿しました続きを読む

もっと見る