2024年04月30日 20時40分
催花雨 中編
私が高校生のころに家に来たハナはもう十歳以上になる。正確な年齢はわからない。付き合いのある保護施設にいたのを、獣医である父さんが引き取ってきたから。
身寄りがないからと言って、父さんはほいほいと引き受けるようなタイプではない。そんなことをしていたらきりがないし、仕事とそういうのはきっちり分ける。
でもハナを見たときにはなにか感じるものがあったらしい。
「この子はうちに連れ帰るのがいいと思ったんだよ」
相談もなしに連れて帰ってきたことを怒る母さんに、父さんがなんとか絞り出した答えがそれだった。母さんの怒りはしばらく収まらなかったけど、父さんの感覚は正しかった。
当時、高校生で思春期で反抗期の真っ最中だった私。両親の言うことやること何もかもが気に食わなくて、特に父さんへのいわれのない嫌悪感は凄まじかった。
おはようも返さないし目も合わせない。ばったりトイレの前で鉢合わせたりしただけで舌打ちする。同じ食卓につくのも、洗濯物を一緒に洗われるのもすごく嫌だった。
まさにとりつく島もない状態。
どうしてこんなに嫌悪感を抱くのか。これまで普通に接してこられたのに、いったい何が変わったのか。
たびたび考えたけど答えは出なかった。自分の意思とは無関係にできた溝は、見えない誰かが掘り続けているかのように深まるばかりだった。
でもハナが来てからその溝は少しずつ埋まっていった。
家に来た当初のハナはかわいい外見に似合わず、私たちのことをものすごく警戒して、いつもすみっこの方でうなっていた。
触ろうとしても鼻先を向けて威嚇されて、とても近づけない。散歩もリードを着けようとすると噛まれそうになるから連れていけない。エサや水は人の気配があると口を付けない。
反抗期まっさかりの私から見ても、この子をなんとかしなきゃと思った。人に傷つけられて、そのせいで周囲にトゲを突きつけながらでないと生きられないハナは、あまりにも痛々しかった。
悔しいことに犬について詳しいのは圧倒的に父さんだった。だからいやいやながら、ハナについて相談したりアドバイスを求めたり、話す機会ができた。
おい、と固い顔で呼びかけていたのが、ハナに触れられるようになると、ねえ、とすこし柔らかくなり、散歩に連れていけるようになるころには、昔のように父さんに戻っていた。
反抗心がなくなったわけではなかったけど、尊敬の念がそれを上回った。そしてハナが仰向けになって、お腹丸出しで眠るようになったころには、あんなにしつこかった反抗心は綺麗さっぱり消えていた。
まさかそんな狙いがあったわけではないだろうけど、ハナは私と父さんの間を取り持ってくれた。
結果的にハナがうちにきたのは、父さんが言うよりもとてもいいことだった。