みそ(うすしお)の日記

2023年02月22日 20時57分

五月の低い空 2

僕にとって最も古い記憶は、後に取り壊されて駐車場になる運命にある、六畳二間の古い長屋から始まる。風呂トイレ付きだが窓が少なく、どこか薄暗くかび臭い印象がある狭い部屋。そこに父と母と兄と、三歳だった僕の四人で住んでいた。
まだプライバシーなんて言葉もひとり歩きしていなかった時代。それぞれの部屋なんていう概念はなく、二間続きの六畳の襖は常に開け放たれていた。でも幼児とは言え男の子ふたりが駆け回るのに合わせて十二畳では狭すぎて、神経質なところのある母に、僕と兄はしょっちゅう部屋から追い出されていた。
僕も兄も部屋で騒げば外に出してもらえることを知っていたので、退屈だと思えば十二畳をところ狭しと暴れ回った。襖や障子には穴が空き、畳もボロボロになったがそんなものは埒外だ。子どもというものは恐ろしい。
外には母がついてきてくれることもあれば、最初から兄任せにすることもあった。僕と三歳しか年は違わないというのに、兄はそれだけ信用されていたということか、それとも遊びに付き合うのが面倒くさかっただけか。なんにせよ田舎だから可能な生活の知恵というものだろう。それくらいにはおおらかな時代でもあった。
晴れた日に長屋の目の前にある古びた公園に行けば、誰かしら遊び仲間やその親がいた。子どもを通じて隣近所の付き合いが密接で、親同士も子ども同士もだいたいが顔見知りだった。悪さをすればどこの子でも構わず叱られ、それに対して文句をつける親も滅多にいなかった。子どもは地域で育てるものだという認識があったのだと思う。
文句をつけるモンスターペアレント的な人もいたにはいたがそこまで問題視されることはなく、ちょっと困った人くらいな扱いだった。それ以上にモンスター感溢れるおじさんやおばさんが存在したせいもある。後に出てくるそれらはひとまず置いておくとして、公園の話だ。
これもまた後に取り壊され、新しいアパートが建つ運命にある古びた公園には、漕げば軋むブランコと、サビの浮いたジャングルジムと、表情がわからないくらい塗装の剥がれたバネじかけでビョンビョン動く動物の乗り物に、おまけ程度の砂場があった。
昭和の遺物のような遊具たちにも子どもたちの中には序列があって、動物の乗り物、ブランコ、ジャングルジム、砂場という順番だった。一番人気の動物の乗り物は三種類あり、その中にも厳格な序列が存在した。すなわちライオン、シマウマ、ゾウの順番だ。実質ライオンの一人勝ち状態で、シマウマとゾウは同率二位くらいのものではあったが。
公園に着くと兄は真っ先にライオンの順番待ちをして、僕は砂場に入るのが常だった。下っ端である僕がライオンなんて恐れ多いなんて謙虚な理由ではなくて、砂場には優しいお姉さんがいたから。
「あっ、よっちゃん!」
五つ年上のさっちゃん。正確な名前は覚えていないがみんなからそう呼ばれていた、笑うと笑窪ができる目の大きな女の子。子どもの頃の年の差というものは大人になってからのそれとは比較にならない。五歳も年上はもうほぼ大人だ。
「お砂遊びする?」
大人の笑顔でそう言われて、僕はたぶん内気にはにかみながらうなずいていた。初恋と呼ぶにはあまりにも淡く、綿菓子のようにふわふわしていたが、そんなような気持ちを抱いていた。
公園内での年長者であるさっちゃんがいるせいか、砂場に集まって遊ぶのは女の子が多かった。男の子が砂場に入るのは、迷い込んでしまったボールを追いかけてきたりする以外にほとんどなかった。それでも砂場に入った僕は肝が据わっていたのか、それともよほどの女好きだったのか。欲望をむき出しにしても可愛らしいで済まされるのは子どもの特権ということで許してもらおう。
しかしそれにしたって、徒手空拳で砂場に入るのはいかがなものだろう。手でも砂遊びはできないこともないが、せめてマイスコップくらい持っていてしかるべきではないのか。厚かましいことに僕はいつもさっちゃんから道具を借りていた。
「はい、よっちゃん。今日は砂のお城作ってトンネル掘るの」
「はい!」
ピンク色の可愛らしいスコップを受け取って僕は敬礼した。なぜそうするようになったのかは定かではないが、たぶん映画かバラエティ番組の影響だろう。返事だけは無駄に元気がよく、砂場にいた女の子たちはそれで笑ってくれていた。愛想笑い五割、失笑五割といったところだが。笑いの質がなんにせよ、僕はそれでひと仕事終えたような気持ちになっていた。
本来の任務である砂の城とトンネルの作成に僕はほぼ戦力外で、主な仕事はさっちゃんの求めに応じてスコップを渡したり、壁を手で固めたりするくらいだった。
「ちょっと力強すぎ!」
「砂飛んだじゃん!」
水をかけたばかりのまだ脆い砂の城というか山に対しても、僕は全力で手を張った。適切な力加減というものをまるでわかっていない僕に女の子たちから非難が集中する。するとまあわかりやすく落ち込む。ごめんなさいとはまだ素直に言い難いお年頃で、だってとかでもとかいう言葉が頭の中で渦巻いて黙ってしまう。
今ではもう自分に非がないとわかっていても、謝罪の言葉なんてすんなりと出てくる。目に見えない何かを削って、胸の中に水をかけた砂みたいなドロドロとしたものを残して、相手の溜飲が下がるまで頭を垂れ続ける。いつからそれを当然のこととして受け入れるようになったのか、もう覚えていない。
「ま、まあまあ、よっちゃんなりにがんばってくれたんだから」
さっちゃんが取りなそうとしてくれても、やはり僕からの謝罪の言葉がなければ年端も行かない女の子たちは納得できない。
膠着状態が続く中、ライオンを満喫した兄がふらふらと砂場に踏み込んできた。
「どうしたん?」
「あっ、たっちゃん。それがね」
気楽な調子で聞く兄にさっちゃんがざっと事情を説明する。ふんふんと話を聞いた兄はうつむいてふてくされる僕の頭をぽかりとやった。
「あああああ!」
「ごめんな、こいつバカだから。これでかんべんして」
泣き叫ぶ僕と、父を真似してひょうひょうと手で謝る兄に女の子たちはドン引きしていたように思える。
「たっちゃん、そこまでしなくても…」
「いいのいいの、こうでもしないと直んないって」
兄はひらひらと手を振り、僕は泣きべそをかきながら長屋の母の元へと逃げた。
いささか乱暴な方法ではあるが、兄はそのようにして僕の尻拭いをしてくれていた。今にして思えばありがたいことではあるが、当時の僕からしたらそれはけっこうな恐怖だった。それでも兄を嫌うことがなかったのは、幼心にも自分に非があることをわかっていたからなのだろう。幼少期の僕は、兄の後にちょこちょこついて遊ぶことが多かった。