みそ(うすしお)の日記

2023年02月18日 18時32分

ハードパンチャー吉田

ハードパンチャー吉田は今日も拳をふるう。ただ目の前の敵を、打ちのめすために。
真四角のリングは人々の熱気に包まれ、その上で繰り広げられる一対一の死闘を狂気を孕んだ目で追っている。比喩ではなく、文字通りの死闘を。
吉田の右ストレートが対戦相手のみぞおちをへこませる。たまらず苦悶の顔を浮かべてのたうち回る相手を猛禽の目で見下ろし、吉田はその上に跨がりさらに拳をふるう。
鼻の骨が折れて血が吹き出し、頬が歪んで歯が口から飛び出し、顎の骨が砕かれる凄まじい音が会場に鳴り響く。
リングの上には血しぶきが飛び散り、本能を呼び覚ますような鉄臭さを充満させる。それに呼応するように会場に満ちるのは獣のような雄叫び。殺せ殺せという無慈悲なコールが湧き上がる。
もはや会場の人々は原初の、猿に近い生き物に先祖返りしたようになっている。暴力に酔いしれ、流れる血の赤に駆り立てられて理性を忘れ去り、ただ興奮に身を任せている。
吉田はむくりと身を起こし、血で染まった手で頬を伝う汗を拭う。頬に引かれた血の跡はまるでどこかの部族のペイントのようだ。
「ひゃ…ひゃすけて……」
満身創痍の対戦相手が今にも途切れそうな息遣いで言葉を紡ぐ。この場にはふさわしくない、あまりにも弱い言葉を。
それに吉田は強い怒りを覚える。
貴様は死を承知でリングに上ったのだろう。ならば死ぬまで戦い抜け。それが貴様の責務だ。
言葉にはせず、吉田は怒りをそのまま拳に込めて打ち下ろした。
一人の男がリングの上で無様に死に絶え、会場は一瞬の静寂の後、獣そのものの咆哮で満ち溢れた。

政府公認の殺し合い、拳闘。リングの上にルールは皆無。相手の戦意を喪失させる。ただそれだけが勝利の条件。たいていの場合それは、どちらかの死によって成し遂げられる。
首絞め、金的、目潰し、なんでもあり。物の持ち込みは唯一の禁止事項で、相手を傷つけることが許されるのは己の肉体による攻撃のみ。
拳、肘、脚、膝、頭、歯。己の肉体ならばどれを使うのも自由。相手のどこを傷つけようが自由。
そんな世界にあって、吉田は己の拳のみを武器として生き延び続けてきた。
彼が拳にこだわる理由はただひとつ。
最も相手の命を奪っている感触がするから。
拳をふるうことしか知らないこの男に観戦者たちは最初呆れたが、吉田が死合を終えるたびにファンは徐々に増えていった。
彼の愚直な拳にはどこか哲学じみたものがあり、それを見るものに無意識のうちに感じさせた。
いま膝を使えば相手をダウンさせられるのに。肘で顎を狙えるチャンスだろうよ。なんでだよ、そこは頭突きでカウンターだろ。
観戦者たちは苛立ちを覚えながらも、吉田の試合から目を離せなかった。
鍛え上げられた肉体から放たれる、拳の軌跡。ときに弧を描いて虚を突き、下からすくい上げるように急所をえぐり、そして真っ直ぐに相手を打ち倒す。
それを目で追うことには、どんな芸術よりも心を震わせるものがあった。何かを極めたものだけが持つ、研ぎ澄まされた美しさ。
吉田の戦い方にはそういうものが宿っていた。本人にそんな自覚は、もちろんない。
それしか人と語り合う術を、知らないだけ。そんな男に人々がつけた二つ名が、ハードパンチャー吉田だ。

「よう吉田、次の死合が決まったぜ」
黙々とサンドバッグを踊らせる吉田の耳に錆びた声が届いた。それでも吉田は動きを止めない。ステップを挟みなおも打ち込み続ける。
「次の相手はお前さんでも驚くだろうなあ」
動きを止めなくても聞いているのはわかっているので、初老の男は構わず話し続ける。吉田との会話はいつもこうだ。
「なんとあの、フェニックス倉前だぜ」
壁際のパイプ椅子を軋ませ座った男に、吉田はここで初めて動きを止めて目を向けた。
「おっ、さすがにこれにゃあハードパンチャー吉田も驚くか」
嬉しそうに言う男に向ける吉田の目は冷たい。
「根岸、相手の情報は無用だといつも言っている。誰が相手だろうとただリングに沈めるだけだ。お前は黙って死合を取ってくればいい」
肩をすくめる根岸から目を移し、吉田は再びサンドバッグと戯れる。
「なんだよ、その言い草はよお。フェニックス倉前と言えば期待の新星、突如舞い上がった不死鳥、これ以上盛り上がる対戦相手はいねえじゃねえか」
根岸が不満げに言うのも無理はない。
フェニックス倉前は元レスラーで、その巨体を活かした派手な技と甘いルックスで、主に女性人気を集めている。
名前の由来はその必殺技で、コーナーポストから手を広げて飛び上がり、全力を乗せた蹴りを放つフェニックスアローから取られた。
大いに人々の目を引く試合となることだろう。ファイトマネーももちろんそれだけ多くなる。
「何がフェニックスだ。俺が地に落としてやるよ」
不敵に笑う吉田の後ろに、跳ね返ったサンドバッグが迫る。
「吉田、うしろっ!」
根岸の叫びと同時に吉田はぐいっと腰をひねり、体重を乗せた拳をサンドバッグに叩きつけた。鎖がバチンと音を立てて弾き飛び、サンドバッグはジムの床をバウンドして壁に激突してやっと止まった。
「おいおい、これじゃあ不死鳥も羽をもがれちまうな」
引きつった笑みを浮かべる根岸に背を向け、吉田は奥のシャワールームに消えていった。

おりぴ

小説でも書かれているのかというぐらいの文章力ですねー

2023年02月18日 18時55分

みそ(うすしお)

おりぴさん ありがとうございます、まだまだ発酵足らずです。

2023年02月18日 19時30分