みそ(鳩胸)の日記

2022年03月19日 20時11分

ラストケンタウロス〜for you〜

皆さんはラストケンタウロス、通称ラスケンについてどれだけのことをご存知だろうか。
本日は僭越ながら、この私が知られざるラスケンの世界を案内させていただく。ハンカチはもちろん不要だ。

祖父母の代には学校にひとり、父母の代には学年にひとり、そして今やクラスにひとりと、着々とその数を増やしつつあるラスケン。
強靭な馬の四肢と軟弱な人間の上半身、それらを繊細なハートが取りまとめる、ちょっと困った隣人。
彼らはいかにして誕生したのか。まずはその起源を遡るとしよう。なに、案ずることはない。神話の時代なんかまで飛びもせず、時は明治時代のこと。
差し馬のごとく列強諸国に追いつけ追い抜けと、富国強兵を掲げる日本。地方の馬飼いである健太もその余波を受け、馬を強靭な軍馬として育てることを命じられた。
しかし馬という生き物を愛し、繊細な人柄ゆえ人との関わりを避けていた健太にとって、その命令は酷なものだった。彼にとっての癒やしは馬と触れ合う時間しかなかった。
「こんなめんこいおめえさんたちに、厳しい訓練なんてできやしねえ。でも軍のお偉方に逆らっては接収されちまうだけ。ああ、おらもうどうすりゃいいんだ」
いっそ何もかも捨てて身軽になろうと厩で思い詰めたそのとき、甘やかな声が聞こえてきた。
「健太、健太。あまり思い詰めないで。大丈夫、私達はあなたが思うより強く賢く、忠実です。あなたのためならば、どんな訓練にも耐えられます」
ぶるるんと嘶く声に目をやると、そこには艷やかな一頭の牝馬、お梅の姿が。まつ毛が長く、しなやかな尻をしたお梅は、まさしく健太の愛馬だった。
「こいつはぶったまげた!お梅、まさかおめえさんが喋ってんのか!」
「ええ、あなたが愛を持って、私に語りかけてくれたおかげです」
「ああ、お梅!お梅!」
「ちょっと、やめ…ああっ!」
そうしてお梅を心の拠り所に、健太は馬たちを鍛え、立派な軍馬に仕立てた。健太の飼育した軍馬が評判になる頃、思いもよらない奇跡が起こった。
愛し合うふたりに、ふたり…?そう、ふたりに子供が生まれた。決まりきった倫理観とかを持ち出すことは、この純然たる愛の前には無粋である。
厩で元気な産声を上げたのは、馬の四肢に人間の上半身を併せ持つ最初のラストケンタウロス、梅太郎。はるか昔に聖者が産声を上げた厩で、日本では半人半馬の妖怪じみた生き物が誕生した。
梅太郎はすくすくと育ち、彼は若者らしく東京に出て一旗上げたいという夢を抱いた。
「ならん!絶対にならんぞ!」
「どうしてだよ親父!俺東京に爪痕を残したいんだよ!」
「お前が残せるのは蹄の跡だけだ!」
頑固な健太と譲らぬ馬太郎に挟まれ、お梅はヒヒンと鳴くばかり。
そして15になったその夜、健太は立派な四肢で東京まで東海道を駆け上った。

奇異の目で見られ、見世物小屋に売られそうになった梅太郎だったが、それを助けてくれた人がいた。
「これこれ、見ればまだ若いようだ。それを見世物小屋になんて可哀想だよ」
洋装に身を包んだ老紳士。シルクハットがよく似合う彼はあの財閥の創始者だ。どことは言わぬが花であろう。
彼に拾われた梅太郎はその壮健な肉体から建設現場で働かされた。なにしろ馬の四肢を持った人間だ、馬以上、人以上の馬力を持つことを期待されるのも致し方ない。
しかし梅太郎は本より重いものを持つことができず、馬部分の背に乗せて運ばせてもバランスを崩して資材をぶちまけてしまう。引いて運ばせることはできたが、資材をまとめて結びつける手間と成果が見合わない。
「困ったなあ、働けないものを置いとくわけにはいかないよ」
困り果てた紳士はある朝、新聞で巷に出没し始めた人力車の存在を知った。
これだ!これこそ梅太郎の天職だ!
早速その日の朝から東京駅に立ち、人を呼び込む梅太郎。立ち並ぶ人力車たちの中で、彼はひときわ異彩というか妖気を放っていた。
新しもの好きの東京人たちはすぐに梅太郎に群がり、彼はたちまち東京駅の名物となった。今でも彼の銅像は八重洲口に建っている。
そうして梅太郎は、今で言う人馬車の初めとなった。人力車は車を必要とするが、人馬車は己の身体に人を乗せて市中を駆け巡る。今日も東京や京都などの観光地を駆け回っている人馬車は、皆が彼の子孫だ。

すっかり有名になり飽きるほど金も稼ぎ、天狗になった梅太郎。半人半馬の分際で天狗とはこれいかに。
そうなった若者の常として梅太郎は夜な夜な女を買い、愛人を囲うようになった。何しろ彼を支えるのはあの大財閥。怖いものなど何もない。
ラストケンタウロスは馬の下半身を持つくせにものは人並みだ。しかしその性欲は常に繁殖期の馬のそれだ。ヒヒーン!
金と若さに物を言わせて梅太郎は次々と子孫を残した。
ラストケンタウロスとなる子はなぜか男児しか生まれず、女児は普通の人間として生まれた。そしてラストケンタウロスの男児は、梅太郎を始めとして美男しかいない。
これは遺伝子が子孫を残すために、必死になって変化を促進させた産物だと言われている。馬の下半身を持った醜男に抱かれるもの好きな女性は、おそらくいまい。
最初の愛人に女児が生まれたとき、どこの馬の骨だ!?と怒り心頭に発した梅太郎であったが、この法則を知ってからは人の姿をした我が子を認知するようになった。
梅太郎が愛娘を背に乗せてあやす写真は、今も人馬車会館に飾られている。
梅太郎の子孫であるラスケンたちは、これまた梅太郎に似て性欲旺盛で、またたく間にその数を増やすと思われた。
しかし彼らは二度の大戦を経てその数を大きく減らし、絶滅したと思われた。米軍の支配する東京に、彼らの姿は影も形もなかった。
米軍が去り、日本がその主権を取り戻したそのころ、人々は半人半馬の隣人たちのことなんぞすっかり忘れていた。

やがて高度経済成長期を迎え、好景気に湧く日本。科学の光が夜を照らし、資本主義が支配力を増し、形あるものたちに日本の誇りが屈しようとしていたころ。それに抗うかのように、ひとつの奇跡が起こった。
とある産婦人科で、半人半馬の男の子が誕生のいななきを上げたのだ。
そう、無惨にも狩り尽くされたと思われたラスケンだが、その遺伝子を受け継いだ女性たちは生き残っていたのだ!
見よ、この科学の世に産声を上げてしまった、彼の荒唐無稽なその姿を。子孫を残すために整った顔は憂いを帯び、筋骨隆々な四肢に対して脆弱なる上半身。およそ生きることに向いていないアンバランスさの、なんと愛おしいことよ。
一説によると鬼束ちひろの月光は、彼らの悲哀を歌ったものだと言われている。ちなみにラスケンは鬼束ちひろの他にCoccoや椎名林檎を好んで聴く。
フェニックスを思わせるその復活は、ひとびとに大自然に対する畏敬の念と、ちょっとくらいのファンタジーがあってもいいじゃないという遊び心を呼び覚ました。
こうして彼らは再び世に姿を現し、以前よりは控えめになった性欲で順調にその数を増やしている。
ああ、紙面の都合により、今回お伝えできるのはここまでのようだ。ラスケン事変や自由ラスケン運動など、まだまだ語らねばならぬことは馬の尻尾の毛束ほどある。
最後にラストケンタウロスの英雄、梅太郎が残した言葉で締めくくろう。
ラストケンタウロスは、永久に不滅です!

たりゲンゲレ太郎

朝は パンパンパパンまで読んだ

2022年03月19日 20時13分

みそ(鳩胸)

たりゲンゲレ太郎さん 過去に遡っていますね。

2022年03月19日 20時20分

みそ(鳩胸)

あのネタは何が面白いのかわかりませんでした。

2022年03月19日 20時21分

きゅう

ときどきうっかり顔が人間のくだんみたいな子が生まれたりしないんですか?

2022年03月19日 20時21分

みそ(鳩胸)

きゅうさん 探せばそういった事例もあるかもしれません。

2022年03月19日 20時23分

格別ひよる

ケンタウロスは尻尾の手入れってどうしてるんですか?

2022年03月19日 20時37分

みそ(鳩胸)

格別ひよるさん メガネ拭きみたいな材質の布で拭いています。

2022年03月19日 21時16分