2022年01月16日 21時15分
また会えるから 風呂敷を待ちわびて
子どもながらに生活面での心配はあった。あの母でもいちおう家事はしていたし、いなくなったから私がしなきゃならないのかなと。
でもそれは杞憂だった。祖父は母よりも手際よくきっちりと家事をこなしたし、食事の面ではむしろ母がいたころよりも充実した。
夕方になると山にあるお寺の鐘がゴーンと鳴り響く。それを合図に私は玄関に立ってそわそわと待ちわびた。餌を待つ犬のように。
「こんばんは~、これ作り過ぎちゃったからよかったら食べて」
ピンポンも鳴らさずにガラガラと玄関の戸を開けたのは、いかにも美味しいものを作りそうな、にこにこ笑った小太りのおばさん。その手には大きな風呂敷包み。明らかにちょっと作り過ぎちゃった量ではない。
近所に住む祖父の幼馴染の和恵ちゃんが、夕食どきになるとおかずを届けてくれるようになったのだ。母がいたころはその手前控えていたのか、いなくなったらその途端、文字通り毎晩おかずを届けてくれるようになった。
しかも唐揚げやハンバーグといった、祖父が決して作ってくれない子どもが大好きなものばかり。ちゃんと巻かれたオムライスの美しさには感動すら覚え、母の作ってくれた不格好なそれを思い出し、よくわからない涙が頬を伝った。
しかも見た目だけでなく、どれも抜群に美味しい。私はたちまち和恵さんに懐いた。現金なものだと思われるかもしれないが、考えてもみてほしい。
日々の食卓は祖父自慢の野菜が並ぶばかり。おやつと言えばフルーツ味の妙にカラフルなゼリーに、なにかとあんこの詰まったものや硬いおせんべいばかり。貴重なうまい棒の供給源であるホセは母とともに去った。幼稚園の給食は物足りない。
氷河期のような食生活を覚悟していた私にとって、和恵ちゃんは天からの救いだった。しかもホセと違って、抱きついてもくせの強いにおいがしない。懐くなという方が無理だ。
母は折に触れて「いい、翼。不自然に親切な人がいたら信じちゃだめ。必ず何か裏があるんだから」と私に言い聞かせていた。たぶん男に騙されてきた経験から出た言葉だろう。なんて底の浅い格言。
純粋な子どもに言い聞かせるようなことではないし、陽気で親切な外国人にのこのことついて行った人がよく言える。母は自分を棚に上げることにかけては天才的だ。
母の格言はともかく、どうして和恵ちゃんはこんなによくしてくれるのか、幼心にも疑問に思った。
「ねえかずえちゃん」
「んー?」
居間のちゃぶ台の上にはお茶とお菓子が置かれて、私は和恵ちゃんの膝の上に座っていた。
テレビではドラマの再放送が流れており、和恵ちゃんの目はそれを追いながらも、その手は私にパリンと割ったおせんべいをあげていた。なんという王様スタイル。
雪の宿。幼い私にとって、そのおせんべいは革命的だった。祖父が好む、やたらと硬くてしょっぱいおせんべいしか知らなかった私が、初めて雪の宿を食べたときの感動と言ったら。
さくっと割れて、甘くてしょっぱくて、口の中で雪のようにしゅわしゅわと溶けていく。
和恵ちゃんがあまりにもおいしそうに食べるものだから、ねだって食べさせてもらって以来ハマってしまった。今でも私のお菓子ランキング、不動の1位だ。
口の中で雪の宿がしゅわしゅわと溶けるのをたっぷり味わってから、私は聞いた。
「どうしてかずえちゃんは、こんなにやさしくしてくれるの?なにかウラがあるの?」
失礼極まりない物言いだが、思ったことを率直に聞けるのは子どもの特権だ。プッと吹き出しながら和恵ちゃんは答えた。
「どこでそんな言葉を覚えるんだか、だめな女が男に聞きそうなことだね。翼ちゃんのおばあちゃんに、お世話になったからだよ。ついでに、あの男とも腐れ縁だからね」
あの男に腐れ縁、和恵ちゃんは祖父に対してはちょっぴり口が悪くなる。
祖母のことを仏壇に飾られた遺影でしか知らなかった私は、興味津々で話をせがんだ。穏やかに笑っているあの人のことを、知りたかった。