2018年07月28日 17時30分
微発酵探偵ミソーン 第六.五発酵
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アコーディオンを嫌いにならずには済んだが、決して元の鞘に収まれたわけじゃない。ナギサに請われてしぶしぶ弾くことはあっても、これまでのように毎日熱心に練習したりはしなくなった。
その代わり僕はコーヒーに熱中するようになった。豆による違いはもちろん、焙煎のやり方に豆の挽き方、抽出するときの温度、その全てが合わさり無限の味が生まれてくる。それは魔法のように素敵で僕をたちまち魅了した。
最初はナギサに教えてもらっていたが、やがては他の喫茶店のマスターに弟子入りするようになり、ついには味でも知識でもナギサを追い抜いてしまった。元々手先は器用で鼻も利いたし、性格もマメだったからコーヒーとの相性はよかったのだろう。
「ものすごく業腹だけど、あなたにコーヒーを任せることにするわ」
殺気のこもった目でナギサに睨まれたのはあれが最後だった。不器用でおおざっぱなナギサは、お世辞にもコーヒーを淹れるという繊細な作業に向いていなかった。しかしそれを補って有り余るほど不思議と人に好かれたため、常連客はそれなりにいた。
この頃にはもう、僕たちは想いを通じ会わせていた。おっと、それに至る過程を聞こうなんて野暮なものだよ。僕とナギサのささやかな宝物だから、見逃してくれ。
かわりにできる話は、うん。ここが猫喫茶になった経緯なんてどうだろう。
僕を拾ってきたことからもわかるように、ナギサはひとりぼっちでいるものを放っておけない性格だった。それに生来の猫好きでもあった。
これまではひとりで喫茶店を営むのに忙しくとても余裕がなかったが、僕が来て余裕ができたことによって、ナギサの秘められていた猫欲が爆発した。
「拾ってきちゃった」
幸せそうに猫を抱いて笑うナギサの顔が僕は大好きだったから、何も文句は言えなかった。だが、
「さすがにこれは多すぎじゃないかな」
五匹を越えてさすがに苦笑い。ナギサがきちんとしつけているから、お客さんに粗相をするようなことはない。だが狭い店内に猫が五匹もいては慣れている僕たちはいいとしても、よほどの猫好きじゃないお客さんは落ち着けない。
「うーん、そうね。だったら外に猫の遊び場を作ってあげましょう。ついでに猫が自由に出入りできるように、猫用の扉も付けてね」
もちろん不器用なナギサにそれを任せられるはずもなく、僕が仕事の合間や定休日をやりくりしてこつこつ作り上げた。ナギサも手伝ってはくれたが、猫の手を借りた方がまだましなレベルだった。
苦心の末ようやく猫の遊び場が完成すると、ナギサは晴れやかな笑顔でこう言い放った。
「ご苦労様、これでもっと猫を拾ってこられるわね」
あっけらかんとしたところもまた、ナギサの魅力だ。そして猫が八匹を越えると、今度は経済的な問題が立ちはだかった。
「猫の餌代、それに病院の費用もばかにならないなあ」
机に座って帳簿を付けていたナギサが深いため息をついた。猫たちが心配そうにナギサの足元をうろつく。
常連さんの中には猫の餌やらをプレゼントしてくれる人もいたが、それだけで賄いきれるものではない。カウンターの掃除をしながら僕は猫なで声で言った。
「やっぱりこれだけの数を育てるのには無理があるよ。里親を募集したらどうかな」
「うーん、だけどよく知らない人に預けるのは心配だし」
「だけどこのままいったら僕たち揃って飢え死にだよ」
ナギサはさらに唸り、眉間のシワを深くした。これ以上シワが深まったら第三の目が開くんじゃないかと心配したところで、ナギサは不意にガタッと立ち上がった。周りにいた猫たちがビクッと飛び跳ねて、散り散りになる。
「わかった、私たちがいいと思った人にだけ里親になってもらえばいいのよ。娘を嫁にやる父親みたいに厳しい審査をして。それなら安心だわ」
名案とばかりにナギサはにこりと笑った。
こうして岬の猫喫茶が完成したのだった。最初に猫を里親に出したときは、それこそ娘を嫁にやる父親のように背中を向けて泣いていたナギサだったが、次第に落ち着いて見送れるようになっていった。