みそ(鳩胸)の日記

2017年10月09日 00時00分

(祝) 戦闘力600記念 発酵夜話 綾子さんの糠床

タグ: 綾子さんの糠床

私は綾子さんと半世紀以上を共にした糠床です。綾子さんは私を毎日毎日かき混ぜてくれました。
春秋冬は夜に一回、夏場には朝夕晩の三回。冬には寒さに手がかじかみ、夏には暑さで汗がしたたりながらも、綾子さんは毎日私をかき混ぜてくれました。

綾子さんは夫を若くして亡くし幼い娘、幸枝さんを女手ひとつで育てなければならない境遇にありました。
来る日も来る日も、なれない仕事をして疲れ果てる綾子さん。それでも娘になにかを食べさせなければなりません。
お米だけではなく、できればお野菜も毎日食べさせたい。
そこで綾子さんは糠床を作り、お野菜を漬けておくことにしました。

私たち糠床は毎日毎日、底からかき混ぜてもらわないと駄目になってしまいます。
それはけっこうな手間となることで、毎日繰り返すと手に臭いもついてしまうために、まだ若い女性であった綾子さんにとっては嫌な作業だったと思います。
けれど娘に毎日お野菜を食べさせるため、と綾子さんは毎日せっせと私をかき混ぜてくれました。
綾子さんの手は冬場でもあたたかくて、小さな体のわりに大きくて、かき混ぜられてとても安心できる手でした。

娘の幸枝さんが学校で片親であることを馬鹿にされたと泣いていた時に、綾子さんはこう言いました。
「だからなんだい。両親が揃ってれば偉いのか、って言い返してやんなよ!」
幸枝さんは「お母さんもそんなこと言うの!」と泣いて自分の部屋に飛び込んでしまいました。
綾子さんはいつものように私を取り出し、かき混ぜましたが、その肩は震えていました。
「ごめんね、ごめんね、幸枝。いっぱい苦労をかけるね…」
私の体にぽたりぽたりと雫がこぼれ落ちました。綾子さんはたぶん、幸枝さんに強くなってほしかったのだとではないでしょうか。困難にも、苦労にも、立ち向かえるように、強く。
だからこそあんな突き放すような言い方をしたのでしょう。本当は抱きしめてあげたいだろうに、あえてそうしない優しさもあるのだと思います。

そんな幸枝さんは綾子さんの願い通りに強く成長し、東京の難関大学に見事合格しました。
明日から上京する幸枝さんのために、綾子さんはささやかなパーティーを開きました。テーブルの上に並ぶご馳走は見たことがないものばかりでした。
その片隅にひっそりと、私で漬けられた糠漬けも添えられていました。こんな日くらいはいいのに、と思いました。どう見ても地味な糠漬けは、回りのご馳走たちに見劣りして恥ずかしいです。
「こんな日でも糠漬けなんだ」
「毎日出していたからつい癖でね。嫌なら私が食べるから、あんたはご馳走を食べなさい」
綾子さんの箸を遮るように、幸枝さんの箸が糠漬けをつまみました。
「ううん、嫌なわけないよ。お母さんが私のために漬けてくれてた糠漬けだもん。私にとってのおふくろの味、ってやつだね。しばらく食べられないのかと思うとさみしいなあ」
ぱりぱりと美味しそうに糠漬けを食べる幸枝さん。その横顔を見る綾子さんの目のすみっこに、涙がうかんでいました。
「こんなのいくらでも送ってあげるよ。あっちに行っても、元気でやるんだよ」
「やだ、そんな顔されたら私まで。糠漬けがしょっぱかったかな」
「ばか、私の糠漬けはいつもちょうどいい塩梅だよ」
「そっか、そうだったね」
綾子さんがそっと幸枝さんを抱きしめました。
幸枝さんは子どものように綾子さんの胸元に顔を埋めて、ひくひくと肩を震わせました。綾子さんの肩も震えていました。

幸枝さんが上京した後も、綾子さんは私を毎日毎日かき混ぜてくれました。もう幸枝さんにお野菜を食べさせなくていいというのに。
幸枝さんの就職が決まった日も。
幸枝さんの結婚が決まった日も。
幸枝さんの子供が生まれた日も。
毎日毎日綾子さんは私をかき混ぜてくれました。

そしてとうとう、綾子さんの手が私をかき混ぜてくれることはなくなりました。
ひっそりと執り行われた通夜は、しんみりとしていながらもどこかあたたかくて、まるで糠床のようでした。

その後、私は幸枝さんに引き取られました。
幸枝さんも綾子さんのようにお野菜を漬けて毎日毎日、私をかき混ぜてくれます。幸枝さんの手もいつもあたたかくて、小さな体のわりに大きくて、綾子さんを思い出します。
もう二度と出会えないそのぬくもりを思い出すときにも、涙は流れるのですね。